December 13, 2014

スチームパンクと工業デザイン

E298図書館からスチームパンクの本など借りてきて読んでいたりする。私のような技術屋にとって、機能を伴わない装飾に過ぎないスチームパンクは、本来相容れないものである。しかし、一方ではスチームパンク的装飾を面白いと思う自分も居るのも無視できない。そこで、スチームパンクを論理的に分析して見よう。
スチームパンクはサブカルチャーの一種で、19世紀の英国をモチーフにしたデザインを多用する。衣服のファッションならメイド服などのゴスロリが当てはまる。衣服のファッションのみならず、アクセサリーや機械・建築物、漫画やアニメ・映画などにも取り入れられており、ジブリ作品では「天空の城ラピュタ」や「ハウルの動く城」が、これにあたる。スチームパンクはサブカルチャーとは言え、決してマイナーとは言い切れない勢力を持つ。冒頭のイラストはラピュタの飛行服っぽく描いてみた。
既に述べたように、スチームパンクは19世紀の英国つまりシャーロックホームズが活躍していた時代をモチーフにしているが、21世紀の現代、なぜそんな古い時代のデザインを真似るのだろう。ちなみに19世紀の英国の建築様式はゴシックで、そのためメイド服などもゴシックと呼ばれていると思ったら大間違い。本来、ゴシック様式とは更に古い12世紀にフランスで流行したものだ。19世紀の英国では外観だけをゴシック様式に似せて内部は近代的な鉄骨トラス構造を持つ建築様式が流行した。これは本来のゴシックと区別するためにゴシックリバイバルと呼ぶのが正しい。スチームパンクは19世紀の英国を真似ているが、その19世紀の英国では更に古い12世紀を真似るのが流行していたとはややっこしいことこの上ない。
さて、本題に戻るが、スチームパンクでは、革や真鍮を多用し、歯車や鋲など本来は機能部品であったものを装飾として使うことが多い。なお、イラストにも描いたが、その中には飛行機用ゴーグルや真空管なども含まれる。実はこれらは20世紀になってからのもので時代考証が間違っているのだが、スチームパンクでは細かいことは気にしない。また、同じくイラストに描いたように蒸気機関を使ったロボットも実際には動くはずもなく、単なるアクセサリーの一種だ。こう言うのは、動くところを想像することで補うらしい。
まあ、ここまで書いて判ると思うけど、スチームパンクは一見機能しそうだけど機能しない歯車とか蒸気機関とか真空管などの部品を装飾品とするファッションとかデザインである。そして、その機能しそうな部品が本当に機能していたのは、19世紀の昔、つまり旧技術のものと言うわけだ。
E2982機能するかしないか、それを飾りとして見せるか隠すか、その技術が新しいのか旧いものか、3次元に分類したものを、2つ目のイラストに示した。なお、このイラストは技術的側面でのみ分類しており、例えば「花柄模様」と言った純粋な装飾は考慮に入れていない。
スチームパンクは「機能しない、旧技術、隠さない」ので「B1」の分類になる。
最新テクノロジーの流行は、iPhoneを代表とするように「機能する、新技術、機能部品を隠す」の「A4」の分類になる。「A4」の分類には、iPhoneの他には、プリウスなどのハイブリッドカーがある。iPhoneの場合は意図的に誰でも簡単に分かるようにと言う配慮から機能部品を隠しているが、ハイブリッドカーは、空気抵抗を減らし、燃費を良くするためにカバーが付いていると言う違いはあるが、結果的には最新テクノロジーは「隠す」方向にある。
スチームパンクと同じような旧い技術でも実際に機能する「B2」の分類もある。代表的なものは機械式腕時計で、特にギア部分やテンプ(調速機と脱進機)を見えるようにしているものもある。最も顕著な例はトゥールビヨンで、これが付いている腕時計は1千万以上の高価なものも珍しくない。しかし、どんなに良い機械式時計でも精度は、ずっと低価格なクォーツ時計よりも悪く、ましてや電波時計やGPS時計には及ぶべくもない。精度が悪い、性能が低いからと言って、魅力がないわけでは無いことは、ここ10年以上に渡り機械式腕時計を使っている私自身も判っている。同じ「B2」の分類には真空管式アンプや、保存鉄道の蒸気機関車などがある。一般的にはレトロとか懐古趣味とかノスタルジックとか呼ばれるものだ。
その他の分類で、機能しないものを隠しているA3やB3、旧い技術を隠しているB4は意味がないので、ここでは触れない。
機能しない最新技術風のものを見せる「A1」の分類は、今は余り存在しないが、かつてはたくさんあった。例えば、1930年代の流線形をした蒸気機関車とか、1960年代のエリアルール形状をしたスポーツカー、1980年代のリトラクタブルライトなどあり、いずれも当時の先端技術である航空機、特に戦闘機の形状を真似たものである。もちろん、航空機とは比べ物になら無いくらいの速度では、空気抵抗を軽減する機能は役に立たず、装飾以上の意味はあまり持たなかった。最近、あまり「A1」の分類に相当するものが無いのは、実は元ネタになる「A2」の分類自体が少数であるからかもしれない。
問題は、「最新技術で機能する部品を見せる」の「A2」の分類だが、これは最近ほとんどない。強いて言えば「ダイソンの掃除機」なのだが、この場合、見せているのは機能部品じゃなくてゴミだろう・・と言う話もある。
さて、色々分類していると、イラストのような分類に適合しないものもあることに気付いた。最新型のGPS腕時計だ。中身の技術は最新だし当然機能もする。しかし、それを見ることはできない。一方、外観は小さい文字盤が幾つも付いたクロノグラフ風だ。このクロノグラフは、1960年代の超音速戦闘機の操縦席の計器を思わせるデザイン。しかし、現在の実際の戦闘機はスクリーンになって居てアナログな計器ではなくなっている。すなわち、このGPS腕時計は、内部機構は「A4」の分類、外観は「B2]の分類と、2つの分類の複合になってしまっている。同じよな物に最新のデジタル一眼レフカメラでありながら、30年程前のマニュアルカメラの外観をまとったニコンDFなどがある。

話が横に逸れてしまったが、本題の「A2」の分類が何故少ないかと言う問題に話題を戻そう。この「A2」の分類は、今でこそ少数派だが、かつては多数派だった。「A1」の分類よりも多かったと言っても過言では無かろう。
かつての「A2」の分類の典型は蒸気機関車だろう。最近のイベント列車で細々と走る蒸気機関車の事では無い。19世紀半ばから20世紀前半の蒸気機関車こそが時代の先端だった頃の話だ。蒸気機関車はピストンこそ直接は見えないが、コンロッドやクランクが外部から見え、その動きから仕組みを推測することができた。また、もくもくと上がる煙や水蒸気が力の源だと判る。家庭の中でも、時計があった。昔の柱時計は振子型が主流で、同様に動きが見え、そこから仕組みを推測することができた。置時計や腕時計はテンプ(調速機と脱進機)式が主流で、外部からは見えないが、カチカチと音がして想像をかきたてる。蒸気機関車に対する時計の最大のアドバンテージは一般の人でも触ることができることだ。柱時計でも置時計でも毎日のようにゼンマイを巻かないといけない。その上、分解して中の仕組みを探る事ができる。中年以上であれば、子供の頃に壊れた時計を分解して、中から沢山の歯車が出てきて吃驚し、元に戻せなかった経験を持つ人も多いだろう。

では、何故かつては多数派だった「A2」が姿を消したのか?
考えてみると幾つかの理由がある。
一つ目の理由は電子化である。かつては歯車が機能実現の技術だったものが、多くは電子部品に置き換わっている。時計が最も良い例だ。電子は目に見えず、その動きを見て、仕組みを推測することもできない。だから、見せる意味もない。真空管は例外的にヒーターの光が見えるが、これは真空管の機能とは本来関係ないもので、また、真空管そのものが既に旧い技術に属する。
二つ目の理由は空気抵抗だ。既出のプリウスなどのハイブリッドカーがあたる。ただし、ハイブリッドカーは中身が半分電子機器になっているので、一つ目の理由も入っている。二つの理由があると考察には向かないので、この先はハイブリッドカーではなく、オートバイを例に分析させてもらう。オートバイは未だハイブリッドや電動化は少数で、大多数が旧来からのガソリンエンジンだ。もちろん、キャブレターが電子制御に置き換わる等の電子化も行われているが、肝心要のエンジンは昔ながらのピストン式のガソリンエンジンだ。30年程前まで、この最大の機能部品であるエンジンをむき出しにするのが、オートバイのデザインだった。エンジンを隠していたのは、スクーターだけで、スーパーカブですらエンジンはむき出しだ。それが、スピードを出すための空気抵抗対策として、カウルを付けるようになった。それでも最初の頃はエンジンが外から見えていた。空冷だった事もあるかもしれない。しかし、時が経つと、水冷化と共に外部からエンジンが見えないデザインが主流になってきた。今やオートバイだと言うのにスクーターのようなデザインのバイクもある。驚くべきことに、最新のオートバイは、カウルの無いネイキッドと言う種類にも関わらず、エンジンが外部から良く見えないデザインのものも多い。むしろ、エンジンが外部から良く見えるのは、ハーレーのような懐古趣味のバイクか、基本設計の古い物だけになってきている。
ガソリン・エンジンのオートバイ、それも空気抵抗を重視していないネイキッド・バイクですら、最大の機能要素であるエンジンを余り目立たないデザインにしているのは、前述の一つ目の理由でも二つ目の理由も当てはまらない。別の理由があるはずだ。

三つ目の「A2」が姿を消した理由は、デザイン思想だ。「良い技術は表に出ず、縁の下の力持ちに徹する」と言う思想だ。「複雑な機構が見えるような工業製品は、メカが苦手の女子供や老人に受け入れられず、普及せず、売れない」と言いかえることもできる。30年以上前の学生時代に、このように教えられたし、現在の大半の技術者も同じような教育を受けたはずだ。この思想の最も典型的な例が iPhone であり、エンジンを隠したオートバイも、この思想から生まれたものだ。
しかし、長いこと信じていた思想に疑問が湧いてきた。この思想、事実だろうか?
先ほどは、さらりと書いたが、「メカが苦手の女子供や老人」の部分には、差別的な表現が含まれている。私の直接知っている女性や子供・高齢者でメカが得意な人も多々いる。もちろん、女性や子供・高齢者でメカが苦手な人も居るが、その割合は若い男性と比べて有意な差があるほどではない。
そもそも「複雑な機構が見えるような工業製品は、売れない」は真実なのか?
本当にそうなら、スチームパンクのような分類「B1」や懐古主義の分類「B2」は成立しないことになる。「B1」や「B2」がある一定の需要がある以上、「複雑な機構が見えるような工業製品」も売れるのである。
「複雑な機構が見えるような工業製品が売れるのは、マニアに限られ、多数に売れることは無い」と反論されそうだ。だが、決定的な反証を示そう。それなら、何故、「A2」分類に属するダイソンの掃除機がヒットを続けていられるのか?
ダイソン以前の国産の掃除機は皆「A4」つまり内部の仕組みを隠すデザインだった。しかし、ダイソンが中身を見える掃除機を出したら、大ヒット。つまり、中身の見える工業製品はマニアだけでは無く、一般の人にも売れるのである。同じことが、ロボット掃除機ルンバにも言える。
これは掃除機だけでは無く、きっと洗濯機、冷蔵庫、炊飯器など、他の家庭用電化製品も中の仕組みが見えるようなデザインで売れるようなものがあるに違いない。もし、掃除機だけが特別で、ほかの電化製品にはそんなデザインは無いと言うなら想像力が貧困と言うしかない。
では、「複雑な機構が見えるような工業製品は、売れない」が真実でないとしたら、なぜ信じられるようになったのだろう。当の技術者にとって、このデザイン思想を信じることに何のメリットも無い。自分の技術力を誇示する欲求を抑えつけられるだけでなく、技術の良さを理解されなくなり、結果、技術者全体の地位の低下に繋がっている。実際、最近の理系離れやモノ作り力の低下は、この技術者の地位低下が原因の一つだと思う。
「複雑な機構が見えるような工業製品は、売れない」が信じられる事で得をするのは、技術に理解の無い経営者、商品企画部門、広報部門と営業である。こう言う人たちに踊らされて技術者は自分の欲求を抑制し、自分の地位を落とすことになったのかも知れない。
このように仮定すると、一つ疑問の起きる。iPhoneを作ったジョブズは「理解の無い経営者」だったのだろうか? ジョブズに関する限り「理解の無い経営者」とは思えない。もしかしたらジョブズは全て判った上で、iPhoneをデザインしたのかもしれない。「複雑な機構が見えるような工業製品は、売れない」が真実でないとしても「複雑な機構が見えない工業製品は、売れない」ではない。要は「複雑な機構が見えるか見えないかは、売れるか売れないか」とは相関関係が無いだけだ。ジョブズはiPhoneの性格付けをする時に「複雑な機構が見えない」デザインを選択し、それを徹底しただけかもしれない。
こう考えると、経営不振の日本企業が技術畑の経営者をおいても、つまらない製品を作り続け、経営再建できない理由にも繋がる。企業のトップに技術に理解のある経営者を置いても、その人が「複雑な機構が見えるような工業製品は、売れない」と言う思想を信じているなら、経営者が非技術畑出身と同じく「複雑な機構が見えない」製品を作り続けることだろうからだ。

世の技術者たちを抑制を取り払い、技術を主張しよう。
技術への回帰を意味して、「テクノロジー・ルネサンス」と名付けよう(この名称、今、考えた)
どんなデザインが「テクノロジー・ルネサンス」なのか、具体的に示すのは難しい。しかし、勘違いする人も居るかと思うので、以下に「テクノロジー・ルネサンス」では無いと言う例を示そう。

「テクノロジー・ルネサンスでは無い例」
その1)他の分野の形状だけ真似たもの
 分類「A1」に属する。昔の流線形蒸気機関車など。
 宇宙ステーションに翼の飾りを付けるような類。
 機能しないものを見せるのは単なる飾りだ。記号・シンボルとも言う。
その2)より高性能のものの機能は形だけ入れたもの
 これも分類「A1」に属する。
 昔の車のリトラクタブルライト。
その3)機能はしても、旧技術に属するもの
 これは分類「B2」。機械式時計や真空管アンプ。
 ちゃんと技術的に成立して機能しても、新技術でないとテクノロジー・ルネサンスでは無い
その4)最新技術なのに、旧技術の外観を借りている。
 先のGPS腕時計やニコンDF、ミラーレス一眼デジカメなのにペンタプリズムが付いているもの全般。

洗濯機、冷蔵庫、炊飯器などの家電にも「テクノロジー・ルネサンス」を当てはめるられると書いたが、たぶん簡単なことではない。真に技術・機能を見たし、それを見せて受け入れられるのは、簡単な技術センスだけではだめで、アーティストであるインダストリアルデザイナーとの協力が必要に違いない。
もう一度言う。世の技術者たちを抑制を取り払い、技術を主張しよう。
「テクノロジー・ルネサンス」

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November 29, 2014

アイデアの実現

E297私は職場でもプライベートでもアイデアマンと呼ばれている。
で、そろそろ後進を育てなきゃならない年齢なので、なんとかアイデアマンを育てる方法はないかと考えている。

アイデアを実現するプロセスを考えると、イラストのように大きく4つに分かれる。
「アイデアを考える」「選ぶ」「アイデアの実現方法を見つける」「アピールする」だ。
で、この中で一番簡単なのが、「アイデアを考える」だ。
「それが一番難しいだろう」と言われそうだが、アイデアなんてものになるのは、1000個の内の3つくらいだ。アイデアの99.7%はダメ、つまりものになるアイデアは3σ外だと言うわけだ。
この「1000個の内の3つ」の確率は、私でも他の人でも同じ。私の場合、単に数多くアイデアを考えるようにしているだけだ。一日に1つアイデアを考えれば、1年間で1つくらいものになるアイデアになるわけ。1日に3つのアイデアなら、年間3つのものになるアイデア。4か月ごとに、ものになるアイデアを出すと十分「アイデアマン」と呼ばれる。
私に「衛星を作りたいのですが・・」と言ってくる人が居ると、「じゃあ、1日3個アイデアを考えて」と課題を出す。これなら3か月から4か月で一つくらいはものになるアイデアが出て来るわけ。
「そんなに沢山アイデアを考えられないよ」と言うかもしれない。実際やった人は「かなり厳しかった」と言う。最初は、クズのアイデアしか思いつかないと思っていても、どんどん出して行こう。どうせ99.7%はクズなのだ。そのうち良いのが思いつく。これも慣れてくれば苦にならない。
沢山のアイデアを出すには、たくさんの種が要る。「必要は発明の母」と言うけど正にその通りで、たくさんの「必要」とか「困った」とか「やりたい」事を集める。自分一人では数に限りがあるので、色々な人からそう言う種を集めよう。

さて、1000個から3つのアイデアを「選ぶ」。

選んだアイデアの「実現方法を見つける」のが、次の段階。
これは、「アイデアは面白いけど、そんなのできるわけないよ(不可能だよ)」から「それならできるよ(可能だ)」と言う方法を見つけること。これができると「不可能を可能にする男」とか「魔法使い」と呼ばれる。
「実現方法を見つける」のは難しくて、とても、このブログに書き切れる量じゃない。
しかし、「実現方法を見つける」には、色々とパターンがあって、やり方とかコツとかを一冊の本くらいにまとめることができるような気がしてきた。
「実現性検討の手法」とか「不可能を可能に変える!」とか「魔法使いになる方法」とか言う題名で本でも書いたら売れるかな??

最後は「アピール」。プレゼンテーションとかデモンストレーションとかだ。
私もそれなりにプレゼンテーションのスキルがあるし、これらが重要なことも判っている。
が、ここで、私がこれらを説明する必要もないだろう。世の中にはプレゼンテーションとかデモンストレーションのスキルアップのための書籍とか研修とかがあふれているからだ。
最近は、逆に、プレゼンテーションは上手いのに、肝心の中身のない研究者や技術者、学生が多くて辟易しているくらいだ。ちゃんと詰めてから発表に来いと言いたい。

さて、アイデアを実現する4つのプロセスだが、
・「アイデアを考える」は、沢山考えるだけ。
・「アイデアの実現方法を見つける」は、それなり難しいけど、本書いて伝承できそう
・「アピールする」は、プレゼンテーションのスキルアップの書籍とか研修に任す
と、なんとか、後進を育てる方法はありそうだ。

で、問題は「選ぶ」

「どう言う基準で選ぶのか」「論理的な理由は?」と聞かれるが、実は基準や論理は後付け。私の場合、まず、直感的に「良いかダメか」を判断し、その後で論理付けしている。
私に自分のアイデアを話した人などは判ったらかもしれないが、
即座に「却下!」と言って、その後「これは何々だから、駄目」と論理付けている。
この「却下!」と言った時は、直感で判断しているだけで論理はない。
論理は、次に喋る間に考えている。

1日3つのアイデア考える課題を受けた人も、毎日メールで私に送ってきては、私から「これはダメ、なぜなら・・・」と批判を受けているうちに、だんだんどんなアイデアが良いのか判ってきたようだ。

それなら、アイデアの選んだ後に付けた論理をパターン化すれば良いじゃないかと思うかも知れないが、どうも統一的な論理パターンが見つからない。それどころか、論理的でない選択も多々ある。

例えば「自転車」とか「バイク」を考えてみよう。
「自転車」とか「バイク」を見たことも聞いたことも無い人に、どうやって、その良さを論理的に説明できる?
幾ら言葉を尽くしても、結局は「一回、自転車(バイク)に乗ってみろよ。そうしたら、爽快で楽しいことが判るよ」の方が良いって事になるだろう?

「爽快」とか「楽しい」とは感情的なもので全く論理的とは言い難い。しかし、同じようにアイデアの良しあしの選択の中にも、こう言った非論理的な部分が残ってしまう。

非論理的な選択をするためには、センスを磨くしかないのだが、その方法が難しい。
既に書いたように、1日3つのアイデア考える課題を受けた人は、毎日メールを送ってきて、それに私が批判をすることで、ある程度のセンスを磨くことができた。つまり、双方向な情報の伝達である。書籍のような一方通行的な情報で、伝承することは不可能と言うことだ。

私が、一人当たり1日3つのアイデアを批判しメールを返すのには限界があって、沢山の人に伝承するのは不可能だ。なんとか書籍のように一方通行的な情報で、伝承できないか・・・と、考えているのだが、今のところ良い方法はない。

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May 19, 2013

中華タブで擬似スマホ生活 その2 無料公衆Wifi

中華タブレットの試用記の2回目。
E278さて、スマホに対して本質的な違いは電話回線での接続ができないことだ。私の場合、急ぎの連絡はガラケーで通話もメールもできるから問題はない。家の中に居る時は、無線LANに接続できるから、LINEもTwitterもWEBブラウジングも何の問題もない。

問題は、出先でのLINEもTwitterもWEBブラウジングなどだ。既に書いたように、ポケタブ6は簡単な操作で無線LANに接続できる。出先に無線LAN設備があれば、SSIDやWPA2などのパスワードがわかれば、直ぐに接続できる。

では、公共の場所での無線LAN接続は、どうだろう? まずは、無料の公衆Wifiだけで、何処まで使えるか試してみた

なお、前回書き忘れたので追記しておくと、ポケタブのバッテリーでの使用時間は、3〜4時間くらいだ。

【つくばエクスプレスの車内】
通勤で使っている つくばエクスプレスの車内でWifiが使えるというのでつないでみた。docomo Wifi などは有料なので、無料のWifiに接続する。これは、つくばエクスプレス内部の案内や列車運行状況、天気予報、駅周辺の店舗案内と言ったWebパージが見れるだけのもの。直接インターネットに接続できるわけではないので、メールの送受信や、Twitter、Lineなどは使えない。
まあ、無料だから仕方がないかとは思うけど、時間つぶしに役に立つ程度。

【FREESPOT】
まず、無料の公衆Wifiと聞いて、まず思い浮かぶのが、FREESPOTだ。
で、ネットで調べてみると、色々とある。私の家の近くではパチンコ屋にもある。秋葉原にも幾つかあるようだ。ある程度、行きそうな場所の近くにあるFREESPOTの位置をメモって、出向いてみた。だが、なかなか接続する機会がない。

まず、無料のWifiと言っても、そのWifiのある場所自体に無料で入れるわけではない。例えば、前述のパチンコ屋の場合、店に入れば良いのだろうが、私はパチンコしないしねえ。厳密に言えば、パチンコ屋に入る事自体が有料ではないのだが、−パチンコ屋に入って、パチンコもせずに無料Wifi接続するわけにもいかない。

また、秋葉原の某量販店にもFREESPOTがあるとネットに書いてあったので行ってみた。この店の場合、私も日頃使っているので、入りやすかったのだが、FREESPOTの接続に必要なためのパスワード等を書いてあるポスターなどは見つからなかった。

他にも、喫茶店など、幾つかFREESPOTがあると言う店に行ってみたけど、結局、入ったことはない。もちろん、コーヒーの一杯も飲めば、FREESPOTを使っても後ろめたくないのだろうが、そもそも、本当にFREESPOTが使えるか、店に入る前には判らないと言う問題がある。入った後で、FREESPOTが使えなかったら、やだしなあ。
また、コーヒーの代金をWifiの使用料と考えると、有料公衆Wifiよりも高く付いてしまう。

と言うわけで、未だにFREESPOTは未経験である。

【JR-EAST FREE Wifi】
と言う訳で、無料で擬似スマホ生活は無理かと思い始めていた時、JR東日本の駅構内で無料公衆Wifiが使えることを知った。それが、JR-EAST FREE Wifi。
昨年10月に始まったサービスで、主に山手線の主要駅(例外的に舞浜駅)の構内で無料でWifi接続できるものだ。

そもそも外国人観光客相手のサービスらしいのだが、別に日本人が使っても問題がない。対象となっている駅構内全体でWifiが接続できるわけではない。例えば、東京駅の東海道線ホームだと、ホーム中央だと接続できるが、端っこだと接続できない。たぶん、ホーム中央部に無線ルーターが一つ置いてあって、それが電波を飛ばせる範囲内だけ接続可能になっているらしい。

同じ東京駅だと、地下にある待合場所、正式名称は判らないけど。
ここは、白い丸テーブルと椅子が沢山おいてあって、電車を待つのに最適の場所。行ったのがゴールデンウィークの真っ最中だったので、お弁当食べている家族連れが何組も居た。

さて、本題の無料公衆Wifiだが、とても簡単。壁に貼ってあるポスターに書いてあるSSIDでAndroid端末をWifi接続して、Webブラウザを見ると接続用のページが出てくる。メインの対象ユーザーが外国人なので英語のページなのだが、日本語のページへのリンクがあるので、それをクリックする。
接続申し込みと言ってもメールアドレスを入れるだけ。確認用のメールが飛んでくるわけでもないので、パソコンのメールアドレスでも何でも良い。極端は話、無線LAN接続できるまで見ることもできない、そのAndroid端末用のgmailアドレスでも構わない。

一度接続すると、3時間。3時間たってたも、何度でも再度接続ページにメールアドレス入れるだけで、再び3時間接続できる。事実上、無限に使えるわけだ。
ネット接続は、普通にインターネット接続できる状態なので、メールもTwiiterもLINEもOK。もちろん、WebブラウジングもOK。
また、ルーターが変わっても接続できるようで、東京駅の場合、地下待合場で接続設定した後、東海道線ホームに行っても、そのまま接続できた。

東京駅以外でも上野駅などでも使ってみたけど、これも問題なし。ただ、上野駅の場合、ネット接続できる場所に椅子などないので立ちっぱなしなのが難といえば何だが。

と言う訳で、現状、このJR-EAST FREE Wifiがベスト。

【W1^2 300】
これは、元々、月々300円強の使用料で使える公衆Wifi。でも、10分間なら無料で使える。ただし、QRコードが読めてメールを送受信できる携帯電話が要るけど。

具体的には、某駅近くのコンビニで試した。
以前から、このコンビニにW1^2 300が使えると言うポスターが貼っているのには気付いていた。このポスターに書いてあるQRコードをガラケーで読み取る。QRコードはメールアドレスになっていて、そこへ空メールを送信。
1分もしないうちに返事が返ってきて、パスワードが入っている。

Android端末で、Wifi接続した後、Webブラウザを開くとログイン画面が出る。
ゲストユーザーで、メールで受け取ったパスワードを入れるとログイン完了。
10分間しか時間がないので、慌てて調べたが、メールもTwitterもLINEも問題なかった。

ちなみに、10分間と言うのはログインしてからの制限時間。
出発前に予めメールを送ってパスワードを得ておくと言う方法もあるにはある。
私の場合、Android端末以外にガラケーを持ち歩いているので問題はないが。

W1^2 300は、10分間と言う制限時間はあるが、それなりに使える。

【MANTA】

地下鉄、東京メトロの駅で使えるサービスらしい。
「らしい」と書いたのは、事前登録が必要だから。

使用していないので詳しくは判らないが、ネット上の情報を見る限り「つくばエクスプレスの車内」と同じように運行案内などが見れるだけで、メールやTwitter、LINEなどができるようなものではないらしい。

にもかかわらず、事前に Google Play ストアからアプリをインストして、その上、事前登録する必要がある。この事前登録、メールアドレスやパスワードだけでなく、性別・年代・職業など個人情報に関わる内容盛りだくさん。
まだ、事前登録の2ページ以降を見ていないのだが、本名や住所なども必要なのだろうか?

ともかく、MANTAは面倒。
本当にインターネットに接続できるならともかく、運行案内くらいなら何も登録せずにも使えるようにすべきだろう。その点、「つくばエクスプレスの車内」は、何の準備も無く使える。

例え、ある程度の登録が必要でも、Google Play ストアからアプリをインストする必要があるのは論外だろう。そもそもインターネット接続ができない状態から接続したいのだから。
「JR-EAST FREE Wifi」の場合、準備等一切必要としないし、W1^2 300 の場合なら、本人でなくても周りにメールを送受できる携帯なりスマホを持っている人が居れば何とかなるからね。メールは単にパスワードを送ってくるだけのものだ。

ところが、Google Play ストアからアプリをインストするとなると、そのAndroid端末自体がインターネット接続ができなきゃ無理。つまり一回家に帰れってこと。
実際、家に帰って、Google Play ストアからアプリをインストしたのだが、事前登録画面のあまりの面倒さにやめてしまったのが、私の現状。

MANTAは、この2月〜7月までの実験段階なのらしいが、このままのサービス形態だと、そっぽを向かれて消えてしまうのが落ちだろう。

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November 27, 2011

手を動かしながら、ものを作る

E249先週、今週と色々な人と接する機会があった。
特に、創造性のある人たちと話をしていて、同じような「新しい物を創造する」プロセス一つとっても、業種によって千差万別だなあ・・と感じた。

私の場合、つまり宇宙開発においては、システムズ・エンジニアリングと言う名前の元に、まず、用途から考えて、トップダウン的に分割していくと言う方式が使われる。

しかし、アートの世界では、まず、色々作って、こねくり回して、新しい面を出すって言うやり方もあるようだ。
幾つかのアート的作品を見せてもらったが、確かに、それらは実際に作って、こねくり回さないと生まれないようなものだった。いくら、頭の中で考えても、そう言った形状や動きは、想像できない類のものだったからだ。

システムズ・エンジニアリングとかトップダウンとか格好を付けて言うけど、所詮、頭の中で考えるだけのこと。
多少は、コンピュータによるシミュレーションも入るが、ほとんどが、頭の中で想像できる範疇に収まってしまう。
しかし、人間は、複雑な三次元構造を頭の中で想像することができない。ましてや、複雑な三次元的な動き等、想像できるわけがない。
人工衛星が単なる直方体になるのは、それが原因じゃないかな? 直方体は2次元の形状の組み合わせで、頭の中でも容易に想像できるからね。同じ理由で衛星の動きが単純な運動に限られるのも複雑な三次元的な動きが頭の中で想像できないためだと思う。

試作品を作るとか言うと「コストがかかる」とか言って、省略する一方だけど、やはり実際に「手を動かして、物を作っていく」作業も必要なんだよなあ。
「システムズ・エンジニアリング」の中に、ちゃんと「手を動かして、物を作っていく」プロセスを入れ込むべきだと思うけど、これら2つは水と油なんだよなあ・・・

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July 01, 2010

自分の頭で考えたアイデアを言おう

E214若者が、自分の頭で考えたアイデアを人前で言うのは大変なんだろうなあ。実は若者に限らないけど。
間違えなく「何の役に立つのか」「本当に可能なのか」とか言われる事を恐れるだろう、それ以前に「笑われるんじゃないか」と思ってしまうだろうし。

本当のところ「アイデア」を思い付くのが先で、「実現可能性」の検討が二番目、三番目に「何の役に立つ」かが来る。二番目と三番目の順番が逆になることもあるが、「アイデア」だけの段階があるのは間違いない。

だから、最初は「アイデア」だけで、「実現可能性」も「役に立つ」も無い段階で人に話すことになる。これを自分一人の胸の内にしまっていると消えてしまう事が多すぎる。人に話して初めてアイデアが固まり、実現化への道を進み始める事が多い。だから、自分の頭で考えたアイデアを人前で言うのは本当に必要なんだ。

「アイデア」を聞く側の姿勢も大事。話を受け取る方としては、「笑う」なんて論外で、親身になって一緒に考える姿勢が必要なんだろう。実際、実現可能で役に立つアイデアなんて2割程度。だから、8割無駄になっても構わないから、残りを救う覚悟でやらんといかん。

そう言う過程を踏まないで、「自分のアイデアは正しい」と言い続けられるのは余程の変人か自信過剰な人間だけだ。

正直、私自身も若い(20代の)ころは「自分がアイデアを考え出せる人間」だと思っていなかった。自信が持てるようになったのは、最初に自分の頭で考えたアイデアが、曲がりなりにも実現可能性を示せた時だ。

私の場合、アイデアが思い付いてから、実現可能性を示せるまで10年近くかかった。
アイデアの発端は月。よく知られているけど、月は年数センチずつ地球から離れている。つまり高度上昇の軌道制御と同じ。自然ができるんなら、人間ができないわけが無い。月が高度を上げることができるなら、同じ原理で人工の宇宙船とか衛星だってできるだろうって単純に考えた。

月の高度上昇は知っていても、その原理を知っている人は少ないだろう。高度上昇することは位置エネルギーが増えるはずだが、そのエネルギーは何処から来るの? 運動量は?

まあ、そう言った問題疑問を一つ一つ片付けていって、それを人工的に模倣するシステムを構築していったわけ。もちろん、本当に作ったのではなく、理論的に組み立てただけだけど。
10年近くかかって、満足できるシステム構想が構築できたので、論文にまとめ始めた。しかし、人のマネではない理論を、人に説明するのは難しい。全て自分の言葉で説明しなきゃいけないからね。それまでの論文が如何に他人が作り上げた構想・構築を真似しているだけだって、良く判った。
その頃、周りの人は、私の事を半分おかしくなったんじゃないかと思い始めたらしい。なんたって月の動きを模倣する推進システムだからね。ところが、幸か不幸か海外で全く同じ主旨の論文が見つかった。それも、凄く権威のある人の論文だ。僅か数年前に出たもの。少なくとも私がおかしくなったのではないことだけは、当時の上司に認めてもらえて、それまで居た製造(?)部門から、今居る研究部門に配置替えになったわけ。

私自身は先を越されて悔しかったが、それでも自分のアイデアと、それを実現するためのシステム構築の考え方が正しいと判り、自信を得た。「月の様な推進システム」の実現は諦めたけど、その後、新しく野心的なアイデアを実現する事に挑戦し続けている。

まあ、これ以上、私の成功体験を語っても、本題から外れるだけだ。

要は、自分の頭で考えたアイデアを人に言うには自信がなきゃいけない。自信を得るためには成功体験が必要だ。成功するためには、人前で話すことが必須・・に近い。
これじゃ、ニワトリとタマゴじゃないけど、堂々巡りだ。

せめて、人に話すところから始めようか。
まねではなく、本当に自分の頭から出たアイデアを話そう。
他の人のアイデアじゃなく、自分の頭から出たアイデアなら、少なくとも私は、笑わないから。

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June 26, 2010

新しい物を作るには

E213最近、ツィッターを始めた。
色々書いているのだが、ツィッターだと内容が流れるし、一回の書き込みが140文字以内なので、どうしても切れ切れになるので、ブログにまとめてみた。ツィッターに書ききれなかった部分も補足してある。

新しい物を作るときは必要最小限で機能するものを作って、そこから連続的に大きくしないといけない。

飛行機は空力の揚力が面積に、質量が体積に効くので、それぞれ寸法の2乗、3乗に比例する。つまり小さいほど有利なので、飛ぶと言う機能を実現するにはいくら小さくてもOK。ゴム動力の模型飛行機を実現すれば、じょじょに大きく速くしていけば、連続的にジャンボジェットまで進化させられるわけ。

ロケットの場合、空力は抵抗になるので、寸法的には大きい方が良い。他にも制御用コンピュータとかが必要なので、必要最小限の構成が意外と大きくなる。現在ではペガサスが軌道投入できる最小ロケットか? 最小構成のロケットですら、相当大きいので国家レベルの予算が無いと開発を始める事ができないのが現状。

とにかく、全く新しい物を作るとき、
(1)機能に必要最小限の構成の大きさ重さ・実現性は何か?
(2)大きく重くするのは有利に働くか不利に働くか?
(3)より大きく重く、高性能にするには連続的に成長できるのか?
これらを見極めないといけない。

良く誤解されるのだが、最初に作るものは「最小限の機能」だけあれば良い。「最小限の性能」ではない。飛行機の場合だと、「最小限の機能 = 飛ぶこと」であり、「最小限の性能 = 人が乗れること とか 荷物がのること・など」だ。「最小限の性能」は「役に立つ」と言い換えても良いかもしれない。
役に立つような性能を負荷すると、どうしても大きく重くなる。作るのが大変だ。最初は、機能だけを成立させ、徐々に性能を高くしていき、役に立つレベルまで進歩させる。

最初の「最小限の機能」だけの物作りが、もっとも一番難しい。
本当にその構成で成立するのか。実際に作ってみるまで判らない。
実際に作ってみなければ、ならない。
どんなに良く考えても、見落としがあるかもしれない。
見落としがないことを確認するために、最初の「最小限の機能」のものを作る。だから、最初のものは、一通りの機能が必要だ。中途半端じゃ駄目だ。だからと言って役に立つほどの性能もいらない。

シミュレーションで良いと言う人も居るだろう。だが、シミュレーションは、頭で考えた事をコンピュータで確認するだけだ。「見落とし」はシミュレーションでも見落とされたままだ。

最初の「最小限の機能」だけの物を、どんな構成にして、どうやって機能を実現させるかを考えるのは、さらに難しい。
世界で最初のものであれば、なにも参考になるものがない。だから、大変だ。当たり前だ。全ての機能・構成を全て自分の頭の中で構築しなければならない。
日本で最初のものも大変だ。国内には参考になるものが無いから、海外に学びに行かなければならない。でも、そう度々海外に行くわけには行かない。だから、自分の頭で考えることも多い。
企業・組織・大学など組織で最初のものも大変だ。組織外に聞きに行かなければならない。
個人では?

本来、「最小限の機能から徐々に成長させるもの作り」は世界初だけでなく、日本初、組織初、個人初と縮小しながら「再発明」され続けなければならない。
ところが、「最小限の機能構成を自分で考える」と言う事をすっ飛ばことが多い。「最小限の機能構成を自分で考える」には時間がかかるのだ。また、もし間違えると実際にものを作って失敗すると、お金が余計にかかったり、危険だったりする。
だから、「教育」と称して、その辺を回避して、「教え」てしまうことが多い。最初から「機能して当たり前の構成」を作らせるだけで「もの作りの教育」とする。そもそも、そう言った「教育」の機会さえ無い場合が多い。

頭をしぼり、「必要最小限の機能の構成」を考えることは厳しい。でも楽しい。
その厳しさと楽しさは、やった者でないと判らない。
「やった者」でないとさらに、もっと新しいことを作ることもできない。

でも、なかなか、それが伝わらないんだよね。

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December 12, 2006

熱血クラシック音楽コメディ

E077「のだめ」が面白い。原作の漫画もドラマもだ。
別に、主人公の名字が私と同じだから言う訳でも無いが。

この漫画・ドラマ、全体的に面白いのだが、特に面白いと思うことが2つある。

一つは、「熱血もの」だということだ。
漫画の「のだめ」もドラマも熱血ものだ。一見ドタバタコメディのように見せかけて、実はスポ根ならぬ音楽根性ものが「のだめ」の正体だ。

正直、こんなに真剣に音楽に取り組んでいるキャンパスライフがあるとは知らなかった。
私は、音楽、特にクラシック音楽に関しては全く知識が無い。音楽学校/大学に足を踏み入れた事すら無く、恥ずかしい限りである。

音楽に対する知識が無く、「のだめ」が、どれほど真実に忠実であるかどうか語ることはできないが、ドラマや漫画で見る限り、素晴らしいというか、羨ましい学生生活が伝わってくる。

音楽に関してウンチクを述べる事はできないので、キャンパスライフの方に話題を振る。

音楽大学には敷地内に足を踏み入れた事の無い私だが、理学系/工学系大学なら数限り無く入ったことがある。学生時代に私自身が通った大学もそうだが、今現在も大学に行くことが多い。

その工学系の大学にもキャンパスライフはある。
もちろん、学生の中には遊びほうけている者も居るし、むしろその方が多数派だ。

だが、確実に、千秋真一のように、その分野に対して真剣に取り組む姿がある。

例えば、ロボットを作ったり、缶サットやキューブサットを作ったり、人力飛行機やロケットを作ったりと様々である。モノ作りに限らず、理論の構築や実験、式の展開、論文書きに真剣に取り組んで居る。

どうも、一般的には、理学部/工学部は、堅苦しくて暗いと言うイメージがある。しかし、本当はモノ作りや理論の構築だって、ロマンや情熱や感動にあふれて居るのだ。

誰か、そう言った理学部/工学部の本当の姿を、「のだめ」のように分かりやすく、面白く伝えてくれないかなあ・・
まあ、まるで無い訳じゃ無くて、映画「ロボコン」とかTVドラマ「ロケット・ボーイズ」とかあったか・・・・ 受けなかったが。


「のだめ」で、面白いと思う、もう一つは「指揮者」を題材にしていることだ。

今までの漫画やドラマなら、確実に「演奏者」の方を主人公にしたと思う。スポ根もので、野球ならピッチャーやバッター、ボクシングならボクサーを主人公にするようにだ。今までなら、間違っても丹下段平を主人公にはしないだろう。
ところが「のだめ」では、実質上の主人公である千秋真一は「指揮者」を目指して居る。

繰り返しになるが、私には音楽の知識が無い。だが、その私でもクラシック音楽における「指揮者」の存在は、以前から興味があった。

大人数のオーケストラは、音を出すことが目的の「音楽」のために編成されて居る。そのオーケストラの一員なのに、全く「音」を出さないメンバーが居ること自体、特異だと思う。だが、それ以上に「音」を出さない指揮者がオーケストラの中で中で一番偉そうにしているのだから、おかしいじゃないか。少なくとも音楽の素人としては、そう思ってしまう。

もちろん、ちゃんと音楽が分かって居る人にとっては、指揮者の存在の理由も重要性も当然のことだろう。
これ以上の突っ込みは、音楽の知識が無い私には無理なので、またしても話題を別の方向に振る。

私の仕事のひとつは、新しいアイデアの実現を「設計」する事だ。

設計の極く初期の段階で、色々な専門家が集まって討論をし、アイデアを出し合って、大まかなコンセプトを作り上げて行くことがある。
この時、討論の進行役をコンダクターつまり指揮者と呼ぶことがある。

コンダクターと言う呼び方は、あまり一般的でなくデレクターとかアーキティクトとか色々な言い方が混在して居る。が、私は昔からコンダクターと言う呼び方が気に入って居て、よく使って居る。

色々な専門家が集まる討論会をセッションと呼ぶ。もちろん、セッションには討論会の意味もあるが、演奏会の意味もある。セッションと言うと JAZZ や JAM セッションを思い浮かべるが、クラシックセッションと言う使い方もあるそうだ。
そう言えば、電子機器や光学機器などをインスツルメンツと言う時もある。この辺の名前を付けた人は、よほど音楽に引っかけたかったんだなあ。

セッションは、オーケストラほど大編成でなく、せいぜいが 10 人までの専門家が集まって行う。

コンダクターの役割は、クラシックオーケストラの指揮者と同じで、演奏しないことだ。

設計のための討論会なのに、コンダクターは設計自体や解析・計算などはしない。私が主催する、つまりコンダクターを務めるセッションに参加したことがある人なら判ると思うが(このブログを読んで居る人の中にもきっと居るはずだ)、私は専門家同士のインターフェースを取って居るだけだ。違う分野の専門家同士だと、専門用語が通じない時があるので、やさしい言葉に通訳する。

冗談を連発して滑らかにコミュニケーションが進むようにし、課題となる問題点を明確にし、その解決を方法を色んな視点から検討できるようにしている。方向性のイメージが伝わるように、たまに簡単な解析などをやってみたりもするが、本質は専門家に任せる。

専門家は、概ねソリスト(独奏家)が多い。
大編成のオーケストラに慣れて居ない場合が多いし、多分野の専門家と同時に討論すること自体に有効性を認めない事すらある。

だが、ソロ演奏では味わえないオーケストラ演奏ならではの醍醐味がある。

ある分野で完全に行き詰まって居た問題が、他の専門家の一寸したアドバイスで解決する事がある。それが連鎖的に広がると、それまで全く存在も予想できなかった新規コンセプトやシステムが誕生する瞬間がある。

「降臨」して来たとすら思える感動の瞬間だ。


偉そうな事を言ってはみたが、セッションを開ける機会は少ないし、本当に感動できる瞬間など滅多にあるものではない。せいぜいが、1年に1度あるかないかの極めて稀な出来事だ。

「のだめ」の作品中で、「身震いするほど感動する演奏ができることは本当に稀」と誰かが言ったが、まさにその通りだ。

だが、本当にあるんだよ。
設計のセッションでも「身震いするほど感動」が訪れることが。

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May 19, 2005

システムエンジニアリング(その6)要求分析

se005 前回の「システムエンジニアリング(その5)」で、さらりと書いて、ちゃんと説明をしなかった事がある。
「要求をスペックで置き換えてはいけない」についてだ。
今回は、この事について説明しようと思う。

ユーザーから、「要求」を聞き、その要求に合せたモノを作らないと良いモノが作れないと言うことは、前まで何回も書いたし、同意してもらえると思う。
そこで、「良いモノ作り」には「良い要求が必要」と言う事になる。
ここまでは良いのだが、「良いモノが作れないのは、良い要求が無いからだ!」とか「良い要求を俺にくれ!」と言い出すエンジニアが居るが、それは間違いだ。
「良い要求」が無いのなら、作れば良い。「良い要求」は、努力しなくても天から降ってくるようなものではなく、ユーザーとなり得る人と協力し、作り上げるものだ。

そもそも、ユーザーが、最初から明確な要求を持ってやって来ることなど、ほとんど無い。
既に同じようなモノが市場に出回って居れば、話は別だが、全くの新規モノの開発や飛躍的な改良の時は、ユーザーは曖昧模糊としたイメージを持って居るに過ぎない。

「ユーザーの持つ曖昧模糊とした要求のイメージ」を、はっきりさせ、「具体性を持つ明確な要求」にして、モノ作りに活かせるようにするのは、「システムエンジニア」の役目であり、責任だ。

ここで、「ユーザーの曖昧模糊としたイメージに、具体性を持たせ、明確な要求」にする時に、「要求をスペックで置き換えてはいけない」のである。多くのエンジニアは、この間違いをおかしがちだし、また、間違いだと気付いて居ない場合すら多い。

何故、「スペック」に置き換えてはいけないかと言うと、「スペックが決まると言う事」は、その「前提となるハードウェアやソフトウエアの構成が決まっている」事を意味するからだ。その「ハードウェアやソフトウエアの構成」すなわち「システム」の決定が明文化されて居る場合もあるが、多くの場合「暗黙の了承」と言う形で決まってしまっている。
暗黙であろうと明文化されていようと、予め「ハードウェアやソフトウエアの構成」が決まっていると、後の開発を助けるどころか、間違った方向に突き進む場合がある。前回の「桶とポンプ」が、その良い例になって居ると思う。

要求は、「システム」から分離した形で明確にしなければならない。

前回の要求は、次のような文だった。
「毎日、水を運ぶので、できるだけ多い量の水を井戸から家に運びたい。」
この文の中には、「桶」と言う言葉は出てこないし、また、暗黙の内にも「桶」を連想させる部分は無いようにしていた。

だが、その一方で、「ユーザーの持つ曖昧模糊としたイメージ」を明確にするために、「具体的なシステムの構成とスペック及び使用方法(運用)」の例示が必要になる場合が多い。私の経験では、「ユーザーのイメージ」の明確化のためには、程度の差はあれ「具体的な例示」が、ほぼ100%必要になると言える。

まるで、矛盾するようだが、「要求は、具体的なシステムから分離」する一方、「要求の明確化のためには、システムの具体化」が必要になる。

実際には、どうするのか?
実践編は、後半に続く・・・

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May 09, 2005

システムエンジニアリング(その5) 問題の抽象化 「評価」

一人の人間が把握できない程の大規模なシステムを作るためには、「問題の構造」を抽象化を行うことが重要なことは、システムエンジニアリング(その4)で説明した通りだ。付け加えるなら、大規模なシステムだけでなく小規模なシステムでも「問題の構造の抽象化」は有効な手段である。

さて、「問題の構造の抽象化」は、次の二つの側面を持つ。
(1)問題の構造化
 システムを分割し、問題の構造を構築する。
(2)評価
 「問題の構造」を評価する。

この内、(1)は、本来、システム内に存在する問題を拾い上げ、それらの関連を考慮することだ。しかし、詳細な「問題の構造」は、具体的な機器構成の検討を必要とする場合がある。
(2)は、「問題の構造」を評価するのだが、数値化するのが望ましい。この「評価」の結果を用いて、システム設計をコントロールするのだ。

如何にも「システム設計」らしい「機器構成の検討」は面白そうなので、一般的に、(1)を優先してやってしまう傾向になる。しかし、「問題の構造の抽象化」の最終的な目的である「評価」を理解せずに「機器構成の検討」を行うと無駄になることが多い。無駄どころか、マイナスの結果になることすらある。
ここは、はやる気持ちを抑えて、まずは「評価」について検討しよう。

se002
さて、「評価」だが、システムエンジニアリング(その3)に登場した「バランスの悪い桶」を再登場させ、これを使って説明しよう。

まず、やってはいけない事は、「一部の要素のみを評価の対象にすること」である。
当たり前のようだが、陥り易い間違いだ。例えば、自動車なら「エンジンのパワーのみ」とか「サスペンションの形式のみ」に注目することだ。図の「桶」の例では、最も短いBの板の長さを評価の対象とすることになる。
確かに、Bの板の長さを長くすると、それに桶に入る水の量は比例して増える。だが、それは、Bの板がDの板の長さになるまでの間の話であり、それを超えると効果が無くなる。にも拘らず、「Bの板の長さのみを評価の対象」とした場合は、延々とBの長さを長くし続けようと改良を加え、他の板よりも遥かに長くなり、さらにバランスの悪い桶になるというのは、既にシステムエンジニアリング(その3)で説明した通りだ。

次に陥りがちな間違いは、「速ければ速いほど良い」とか「大きければ大きいほど良い」と言った節操の無い「評価」だ。
「桶」の例なら、「桶の中に入る水の量」のみで評価する事だ。この場合、「桶の量」をドンドン増やすように改良が続けられ、やがて、桶は家よりも山よりも何よりも大きくなって行く。本来、この桶が何の目的で使われるかを明確にしておかないと、とんでもない大きさに桶が成長してしまう。例えば、この「桶」は、人が運ぶものだとすると、桶が重くなり過ぎ、人が運べないほどになると全く意味をなさないものになってしまう。
最初に、「桶」が、どのような使われ方をするのかをイメージすることが大事だ。

se0041
この図のように、家の外にある井戸から家まで水を運ぶための「桶」を考えよう。
実際に「桶を使う人」=「ユーザー」から、何が望みかを聞く。

「毎日、水を運ぶので、できるだけ多い量の水を井戸から家に運びたい。」
これが「ユーザー」の望み、堅い言葉で言うと、「要求」である。

陥り易い間違いが、「要求をスペックで置き換える」ことだ。
例えば、「XXリットルの水の入る桶」と言う言い方が、「スペック」である。またまた、車の例えで言えば、「6人家族でキャンピングを楽しみたい」が「要求」で、「2500cc級のミニバン」が「スペック」である。

次に、「運べる水の量」を検討する。まず、「水を含めた桶の質量」と「一日当たりの運べる回数」の関係を調べる。実際に使う人=「ユーザー」に桶と同じ形状の色々な重りを運んでもらい、図の右上のようなグラフが得る。重すぎると運べないし、重さがゼロでも、ある程度以上の回数を運ぶことができない。だから、グラフのように右下がりのグラフになる(直線になるかどうかは極めて怪しい)。

また、「水を含めた桶の質量」と「一回に桶で運べる水の量」は左下のグラフになる。

「桶の効率」を
(桶の効率)=(桶に入る水の量)÷{(桶自体の重さ)+(桶に入る水の量)}
とすると、グラフの赤い線は、「バランスの悪い桶」の長さがバラバラのような「効率の悪い桶」であり、グラフの青い線は、板の長さが一定で無駄な部分が無い「効率の良い桶」だ。

「1日に運べる水の総量」は、右下のグラフになる。このグラフは、先の二つのグラフを掛け合わせたものだ。グラフの中央部の山の頂点が、最も「1日に運べる水の総量」が多いところだ。同じ山の頂点でも、赤い線より青い線の方が、量が多い。つまり、「効率の良い桶」が良いことになる。

このように右下のグラフの頂点を目指すように「評価」することが良いことが分る。
すなわち、
・「桶の効率を良くする」
・「その上で、1日に運べる水の総量を最大にする桶の大きさにする」
に、ブレークダウンできる。

ところが、上記のようなブレークダウンをすると、間違った最適化を行う可能性が出てくる。


se0042
図の左上の「バランスの悪い桶」は、先の「ブレークダウン」で評価して、改良すると、右上のようになる。これは一見すると、正しい改良のように見える。
ところが、「一部の板の長さを長いままにし、それに別の板を通す」ことで、右下のように「持ちやすい桶」になる。こうすると、「桶の効率」は、むしろ悪化するが、持ちやすいので、「一日当たりの運べる回数」は増え、最終的に「1日に運べる水の総量」は増える可能性もある。

単純に「桶の効率」だけを追求すると、右下のような「持ちやすい桶」を見付ける事はできない。このように、右上への最適化を近視眼的な「局所最適化」と言い、右下への最適化を「大局的最適化」と言う。「評価」をあまりにも抽象化し過ぎて、本質を見失うと「局所最適化」に陥り、「大局的最適化」ができない事が多い。
「評価」は、「要求」の本質に合わせて、柔軟に変化させる必要がある。最近のシステムエンジニアリングでは、このように「実どのような使われ方をするのか」だけではなく、「故障したとき、どうやって修理するか」「不要になった時、どう廃棄するか」までをイメージすることが、重要だと言われている。

ところで、ユーザーの要求が
「毎日、水を運ぶので、できるだけ多い量の水を井戸から家に運びたい。」
の場合、図の右下のような「持ちやすい桶」が最適設計であろうか?
私は、そうは思わない。
「毎日、できるだけ多い量の水を井戸から家に運びたいのなら、井戸から家までホースか管を引いて、ポンプで水を汲み上げた方が良い」と提言するだろう(電気が使えれば、電動ポンプで、そうでなければ、足踏み式ポンプで)。

「そんなのインチキだ。」と言われそうだが、ユーザーの要求を分析すれば、ポンプの方が良いに決まっている。仮に「桶作りの専門家」であっても、「桶以外の解決方法」があれば、提言できなければ、本物の「システムエンジニア」ではない。「桶」はあくまで手段であり、目的ではない。誰かが言ったが、「宇宙で書き物をしたければ、スペースペンを開発するより鉛筆を使った方が早い」のだ。

今回の最後の陥りやすい間違いは、「手段を目的化する」だ。

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April 24, 2005

システムエンジニアリング(その4) 超人にならなくていい

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モノ作りで日本が得意な分野は、カメラ、ウォークマン、バイク、自動車。これらは、世界のトップクラスだ。ところが、それより大きなモノ作りは決して得意とは言えない。何故だろう。

日本がモノ作りで得意とされるものは、みんなコンパクトでイメージし易いものだ。モノ作りに参加して居る人達が、同じイメージを共有できれば、良いものが作れる。

前回は、「バランスの悪い桶」を例に「バランスの良い設計」の説明をしたが、「桶のイラスト」を一見すれば、問題が把握できる。だが、桶が見えずに「手探り状態」の場合、「バランスの良い設計」が困難になる。
「桶のイラスト」のように、「どの板を長くすると良くなる」とか「どの板は短くしても良い」とか「長さを揃えた方が良い」とか、それぞれの要素が、どのように結び付いて居るかを「問題の構造」と言う。良いモノ作りのためには、「問題の構造」を把握することが必要だ。

或る説によると、日本のモノ作りは、部品数が10万点を超ると苦手になると言う。その説が本当かどうかは知らないが、バイクの部品数が8000~1万、車が1万~4万だと聞くと、なんとなくそうかと思ってしまう。ちなみにロケットの部品数は約30万だそうだ。

とすると、「10万より少ない部品数なら、問題の構造の把握ができ、バランスの良い設計ができる」なのかもしれない。

私は、単純に部品数で決まるとは思えっていない。部品数では10万を超ても、日本の得意なモノがあるからだ。例えば、システムとしての「鉄道」である。15両の一編成だけでも、車の部品数の何倍も有るだろうし、その上、同じ線路の上を走って居る他の車両まで考えると、とてつもない部品数となる。ただし、鉄道の場合は同じような車両が何台もある。部品の数は多くても、その種類は余り多くは無いのだと思う。

必ずしも部品数が10万を超ると難しくなるかは微妙だ。しかし、この「10万」と言う数字は、一人の人間が一つ一つの部品まで把握する限界なのではないかと思う。

「10万」と言う数字だけでは、それを把握できるかどうか分らないと思うが、分かりやすい数字を例にしてみよう。
例えば、小学校や中学校で覚えた教育漢字は1006文字である。これは義務教育を受けた人なら誰でも全て覚えていることになる(筈だが、最近ワープロのせいか、危ない)。
常用漢字は1945文字。この程度は、すぐには書けなくても見れば区別が付くだろう。
逆に多い方では、広辞苑の項目数は23万語。多分知らない言葉がイッパイあるのだろう。同じ岩波書店の一般的な国語辞典は6万3千語。(別に岩波書店に義理は無いが、比較のために同じ出版社の辞典にした)
「広辞苑の言葉を全て覚えてるのは無理」だが、「国語辞典の言葉の半分くらいは既に知って居るんじゃないか?」と言う気にならないか?
「国語辞典の半分の言葉」なら、3万。ちょうど、自動車の部品数に等しい。
ロケットの部品数は、広辞苑を超る。

つまり、部品数が少なければ、一人の人間で覚え切れる範囲になり、モノ作りの対象である「モノ自体」に精通できる。その結果、「問題の構造」を把握でき、「バランスの良い設計」が可能になる。

「良いモノ作り」のためには「バランスの良い設計が必須」で、そのために「問題の構造」の把握が必要。
「問題の構造」の把握のために、「モノ自体」に精通することが大切だ。
「より良いもの」、「より高性能なもの」「より高機能なもの」「より複雑なもの」「より大規模なもの」を作るためには、精進して「モノ自体」に精通できるように努力する事が大事だ。

と、当然のように思う。
だが、ここに大きな落とし穴がある。

「何故、欧米では日本人が苦手とする巨大システムの開発が可能なのか?」
その答えがない。

「欧米人は、把握できる部品数が、日本人よりも多い」のか?
そんな事は無いだろう。人種により把握できる部品数の上限に差はあるかどうか知らないが、たぶん、有意な差は無いだろう。

では、何が、日本人と欧米人の差だろうか?

日本人の場合、さっき書いたように
『「より良いもの」、「より高性能なもの」「より高機能なもの」「より複雑なもの」「より大規模なもの」を作るためには、精進して「モノ自体」に精通できるように努力する事が大事だ。』
と、本当に精進・努力をする。
部品数が、1万、2万の内は良い。確かに精進・努力をすれば、それに応じて「より良いもの」を作ることができた。
ところが、部品数が10万を越え、一人の人間で把握できなくなると、「より良いもの」が作れなくなる。これは、精進・努力が足りないのだと反省し、さらに精進・努力を繰り返す。だが、一向に事態は好転しない・・・

では、欧米人は、どうだろう。
彼らは、あっさり精進・努力を諦めてしまう。
「諦めるなんて、情けない」等と思ってはいけない。彼らは「諦める」代りに、もっと大きな事を受け入れるのだ。
「自分が有限の能力しかない人間であること」を受け入れるのだ。

日本人は、極めて諦めが悪いというか、プライドが高いというか、「自分が有限の能力しかない人間であること」と言う当たり前のことを受け入ることができない。だから、何でも精進・努力さえすれば、物事が解決すると考えてしまう。それは或る意味、人間を超る超人になろうという無駄な努力に似ている。

だが、発想を変え、「自分が有限の能力しかない人間であること」を受け入れれば、違うアプローチが生まれる。

もう一度、良く考えてみよう。
(1) 「良いモノ作り」のためには「バランスの良い設計が必須」・・これは本当だ、たぶん。
(2) そのために「問題の構造」の把握が必要・・これも本当だ、たぶん。
(3) 「問題の構造」の把握のために、「モノ自体」に精通することが大切だ。・・これは必ずしも、そうではない!!

「問題の構造の把握」に有効な方法の一つが「モノ自体に精通すること」であることは事実だ。
だが、必ずしも「モノ自体に精通すること」が「問題の構造の把握」に有効な唯一の方法である訳ではない。

要は「問題の構造の把握」さえできれば良いのだ。必ずしも「モノ自体に精通する」必要は無い。

何らかの方法で「問題の構造」を抽象化し、それを「把握」する。それにより、「個人の有限の能力」の限界を遥かに超ることが可能となる。

貴方は、どうする?
プライドから、「自分が有限の能力しかない人間であること」を受け入れるのを拒み続けるか?
それとも、それを受け入れ、「個人の有限の能力の限界を遥かに超ること」を可能とするか?

もちろん、問題は、如何にして「問題の構造」を抽象化するかなんだが・・・

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