January 12, 2014

コメントの設定変更

最近、私のブログには、1日700件くらいのコメントがある。
これが全てスパム・コメントだ。
700件のうち、400件はNiftyのスパムフィルターが消しているのだが、300件くらいが消されずに残った状態になっていた。これでは、普通にコメント書こうと言う人が書けない。

対策として、コメントは、即座に公開されず、私がスパムでは無いと判断したものだけ公開するようにした。
私の手作業が入るので、コメント書き込みから公開まで、早くて1日、長い時(私が忙しい時など)は数日かかるようになる。

今までは、全てのコメントを即座に公開していたのだが、スパム対策として、ある程度の制限をかけることにした。
ご了解願いたい。

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January 04, 2014

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。
E291a今回は、ツィッターで書いた時に、多数リツィートされたコンテンツを、加筆訂正したもの。
ツィッターだと流れて消えてしまいやすいからねえ。

必ず成功する実験なんて、実験する価値がない。
でんじろう氏の『実験』は、『実演』であって実験ではない。小学生の夏休みの宿題用の参考本の『実験』は実験ではない。
実験は、仮説を確認するためにものである。仮説が合っているとは限らない。判らないから、実験する価値がある。仮説が間違っていると何が起こるかすら判らない。必ず成功する実験は、やる価値がない。
実験を繰り返して、仮説が補強され、修正され、進化する。その実験の中には失敗も当然含まれる。失敗を乗り越えて、進化する。失敗を恐れていては、挑戦はできない。
欧米の科学・技術をキャッチアップしていた時代の『実験』は実演にすぎなかった。実演なんだから、成功して当然。キャッチアップの時代は終わった。自らが理論を創って、実験するしかない。本当の『実験』だから、失敗の可能性がある。失敗を恐れては、本当の『実験』はできない。
キャッチアップの時代の後、科学・技術の進歩のためには、実験が必要だ。本当に価値のある実験には、失敗が付きものだ。失敗を恐れては、科学・技術の進歩は無い。このあたり前のことを、声を大にして語る。どうも、それが私の役目らしい。

気を付けろ!「正解を見つけた」と思った時、すぐに喜ぶな。見つけたのは、正解ではなく己の限界である可能性もある。その上、その己の限界は幻かもしれない。幻の限界に、己を縛られないように、気を付けろ

解説:現実の問題・課題の解決方法には、数学や学校で与えられる問題と違って誰もが納得する正解など存在しない。数学や学校で与えられる問題は、厳密に与えられた制約条件があるから、その範囲で最良の解決方法が正解となる。しかし、現実の問題・課題では、制約条件など明確ではない。
無制限・無限にある解決方法の中から、簡単に最良の方法を選び出すことなどできない。だから、もがき苦しむのだ。制約条件を設定し、解決方法の数を有限にすれば、その中から最良の方法を選ぶことは容易となる。
外部状況の制約条件を簡単には設定できない。最も簡単に設定できる制約条件は己の能力である。己の能力に限界を設け、解決方法を有限にすることで『正解』を見つけることが容易になる。その『己の能力に限界』は、本当に限界か?実際は在りもしない限界を思い込みで作り上げている場合も多い。
「正解を見つけた」と思い込んだ挙句、自分の行動も「幻の限界」に制約を受けている場合もある。先日、若者達の行動を観測していて、気が付いた。なぜ、才能ある若者が「正解を見つけた」と喜び、それ以上進もうとしなかったか・・を

開発までにかかる期間の考察
一回の実験で失敗する確率をP1とし、実験を準備する時間がT0、実験する時間をT1とする。実験をn回成功させないと開発が完了しないとして、実験に失敗すると、その回はカウントされないとすると・・開発完了までに必要な時間は、(T0+T1)÷(1−P1)となる(少し弱気・・)
さらに失敗する確率をP1の中で、致命的な失敗をする確率をP2とする。致命的な失敗をした場合、それ以前の成功が全て水の泡と消え、最初からやり直しとする。と、開発に必要な時間はどのくらいになるのだろう?(未だ計算してない:一回モンテカルロ・シミュレーションでもやってみよう・・)
開発期間を短くするには、P1とP2の確率を小さくすることが重要。特にP2の確率を小さくする。ところが、P1とP2を小さくするために、実験の準備期間を長くすると結局開発期間が延びる。結局、P1とP2を小さくし、その上で実験の準備期間を短くすることを考えないといけない。
もちろん、実験回数のnを少なくするのも開発期間を短くする方法だし、一般的にはそれが主流なのだが、実験回数が少ないと革新的な開発ができなくなる・・

いや、FETによるモータードライバの開発において、あまりにFETを飛ばすので、実験の確率的な解析を考えていたのだが、これってロケットなどの開発にも通じるものがあるよねぇ。

ほかにも、実験失敗の後の不具合解析にかかる時間も考えないと行けない。
単なるコネクタの接触不良だったのだが、これがFET起因によるものと勘違いして、トラブルシュートにえらく時間がかかった・・・
不具合解析を速く行うための計測器も重要な要素だ。
FETドライブの場合、オシロスコープで計測して、だいぶ判ってきた。どうも、FETをたくさん飛ばした原因は、ハーフブリッジドライバが思いの外、反応が遅いのが原因のようだ。

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January 05, 2013

クマムシさんの ぬいぐるみ

E273あけましておめでとうございます (ちょっと遅いか・・)

昨日、八谷さんから、「クマムシさん」のぬいぐるみを貰った。
詳しくは良く知らないのだが、これは堀川さんと言うパリの大学で研究している人が、日本に帰ってきても研究できる職がないので、研究費を稼ぐために作った ゆるキャラらしい。
実際、今の日本は世知辛く、目先のことしか考えないので、こうゆう研究を認める風潮にはない。私も研究者の端くれなんだか、研究者になりそこねているんだか、微妙な立場にいるので、所謂研究者の方々やその予備軍が常に困っているのは、良く知っている。
外国だったら、富豪が個人的に寄付をするとかがあるのだが、日本はそう云うのがない。(今はね。江戸時代とかはあったらしいが)
で、日本的な方法として、ゆるキャラのぬいぐるみを作って売ることにしたらしい。
うまく行くか、ちょっと心配。だが、新しい試みとして、暖かく見守ろう・・

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December 02, 2012

指導する人が若者の才能の芽を伸ばすのか? 抑えこむのか?

E269先日、高校生のマイコン回路設計コンテストに参加した。14チームの参加があり、ほとんどのチームが2〜6名で構成されていた。数チームが1名のみだったが、多くは在籍する学校のチーム名を付けていた。
マイコンを使ったオリジナルな回路の設計と実際に作ったもののデモンストレーションで競い合うコンペティションだが、まあ「高校生だったら、マイコン使って、この程度かな」と、やや不満に思うくらいの無難な出来のものがほとんどだった。

ところが、たった1チームだけ、1人が個人名でエントリーしているチームがあった。チームというより個人だ。聞けば、顧問の先生もおらず、1人でコンテストにエントリーしたらしい。
その出来は傑出していた。マイコンを使うだけに留まらず、アナログ回路、CPLD回路を組合せ、フーリエ変換プログラムやHDLでのCPLD回路設計まで、全て一人で作業したらしい。完全に他のチームとレベルが違う。いや、そもそも大学生や大人でも、これらを一人でまとめて設計・製作・プログラミングできる人は、そうは居ないだろう。
「アナログとデジタルの回路を合わせて作ったので、ノイズ対策が大変でした。」と語ってはいたが、デモンストレーションで全く問題なく動作したのには感心した。
当然の如く、彼は金賞を受賞した。

彼のような傑出した才能の持ち主は、数は少ないが、各世代ごとに確実に存在する。彼は確かに今回のマイコン大会では金賞だった。しかし、同世代のトップではないかもしれない。
と言うのも、彼と同じ世代で、製作したマイコン工作が音速の壁を突破した少年を私は知っているからだ。

書き間違いでもジョークでもSFでもない。本当に音速を超えたのだ。

17歳の少年が独学で作ったマイコンはセンサーで加速度や回転速度を測り microSDに記録した。このマイコンは、7月にCAMUIロケットで打ち上げられ、音速突破を記録している。CAMUIロケットに載せてもらったと言うより、少年の作ったマイコン自体がメインペイロードで、その計測データこそがCAMUIロケットが初めて音速を突破した動かぬ証拠になった。
加速度センサのデータは、音速の手前で空気抵抗が増え、加速度が落ちた後、音速を超えてから、再び急激に加速していることを示している。いわゆる「音速の壁」だ。少年のマイコンが取得したデータはグラフ化され、先月別府で行われた宇宙科学連合講演会で、北海道大学の永田先生により発表された。

17歳の少年であろうが、大人であっても、音速の壁を突破する瞬間の計測を行う機会など多くはない。しかし、少年の作ったマイコンは、CAMUIロケットのエンジンの振動、打ち上げ時の加速度、音速の壁、パラシュート展開時のショック、海面への着水を耐えぬき、見事に取得したデータを守り切った。これは最上級の賞賛に値する。

マイコン大会で優勝した少年と、音速を超えた少年のどちらが一番かと言う野暮な話は止めよう。むしろ、彼ら二人を会わせて話をさせてみたいと思う。いい友人になれると思うのだが。

彼ら二人が、同一世代のトップもしくは、それに近いところに居るのは間違いない。が、問題は共通点だ。彼ら二人とも「指導する教師のない、独学での成果」だと言うことだ。

別の世代でも、同じく17歳前後の時に、指導者なしで独学で成果を出している人を何人も知っている。他ならぬ私自身がそうだし(<=言い過ぎ・・)、また、デジタルオーディオ・プレーヤーなどを手伝ってくれている水城さんもそうだ。水城さんは高専時代にロボコン大会に出場している。この時、学校の正規チームではなかった。正規チームのやり方に反した彼は、非正規チームを結成しリーダーとしてロボコン大会に出た。当然、彼のチームには指導する顧問の先生も居ない。だが、地区予選で正規チームが敗退するも、彼の非正規チームは全国大会に進み、両国国技館の大舞台でベスト8まで勝ち残った。

傑出した才能は、なぜ指導教官の居ないところで育っているのか?
いや、逆に「指導教官は、傑出した才能を育てるどころか、押さえ込んでいる」じゃないかと言う疑りさえもってしまう。

もちろん、優秀な指導教官のもとで才能のある若者が育つと言う事例もあろう。
しかし、多くの場合、指導教官は「底上げ」つまり「チーム中の最低レベルを引き上げることで、効率的に平均レベルを上げる」事には役に立っても、「傑出した若い才能を、さらに育てる」事には役に立っていない。

想像するに、このような事が起こるのは、次のような問題が原因と考えられる。

(パターン1)指導教官が生徒や学生の才能が自分より良くなることを嫌う。
いわゆる嫉妬とか妬みと言ったもの。これは、小説やドラマの中では良くあるパターンだが、現実にはほとんどない。妬みのような明確な悪意が原因なら、むしろ対処は簡単だが、実際にはパターン2以降のように悪意のない、むしろ善意による行為が原因になるので、かえってたちが悪い。

(パターン2)生徒が高度・複雑な技術を使う時。
判りやすく言うと、教師が生徒に向かって「そんなの無理に決まっているだろ」と言う時だ。
パターン2は、さらに細かく3つに分かれる。
(パターン2A)生徒の使おうとする技術が、指導教官の持つ技術を超える時。
憶測だが、前述のマイコン大会の金賞受賞者は、このパターンの可能性が高い。大人でもマイコン、CPLD、アナログ・デジタル回路、HDLとアプリケーションプログラミングまで全て扱える人は少ない。彼の学校の教師の中に、このような人が居た可能性は低いので、これが原因と憶測した。
教師が生徒を指導する時、もし上手く行かない場合、自分がフォローすることを考えるから、生徒が扱う技術が自分の守備範囲を超えないようにするのが普通だ。
子供に敗北感を与えないように、自分がフォローできる範囲に抑えてしまう。これは善意から来る指導だが、才能を抑える結果を生むジレンマだ。
(パターン2B)生徒が挑戦する技術が多い時。
これは、単純に同時に余りに高い技術に余りに数多くの技術に挑戦する時。教師が生徒が扱おうとする技術より高い技術を持っていようが持っていまいが、それとは関係がない。
複数の技術に挑戦するのは無謀だ。ほとんどの場合失敗する。「同時に挑戦する新技術は1個だけ」と教師は経験をもって知っている。だから、生徒に「無理をしない方が良い」とアドバイスをする。
このアドバイスは妥当だ。たぶん、複数の新技術に挑戦しようとした生徒の10人中9人が失敗するだろう。教師は生徒に敗北感を与えたくないから、こうアドバイスする。
だが、その一方、10人中1人の才能を平凡な成功に抑えてしまう。
一人の大きな才能開花を取るか、9人に敗北感を与えないか・・がジレンマだ。
(パターン2C)生徒が挑戦しようとする技術がチームの他のメンバーに扱えないほど高度な場合。
学校時代にチームで何かを達成させる事は貴重な経験となる。これは紛れもない事実だ。チームワークを重視するため、他のメンバーと技術レベルを合わせると言う指導は必ずしも間違いではない。

(パターン3)生徒の価値観が教師に理解されない時。
判りやすく言うと、教師が生徒に向かって「それやって、何の意味があるの?」というやつだ。
パターン3も、さらに細かく2つのパターンに分かれる。
(パターン3A)生徒のアイデアは自分が思っているほど斬新ではなく、既に何度も提案されては上手く行っていないものである時。
生徒より経験の豊かな教師は過去の事例を知っていて、それを否定してしまう。
(パターン3B)生徒のアイデアが本当に斬新で教師に理解できない場合。
これは本当に斬新なアイデアだった場合。この場合、かなりの確率で教師にはその意味が理解できないことがある。これは、教師がいくら優秀でも教師自身が斬新なアイデアを生み出したとしても、教師が理解できないことがある。ただし、いくら斬新なアイデアであっても、それが上手く行くとは限らない。それどころか、斬新なアイデア20個のうち、上手く行くのは1個で、残り19個は「アイデア倒れ」になる。

これらのパターンのうち、パターン1は論外としても、パターン2と3の中で問題なく否定できるのはパターン3Aだけだ。
残りのパターン2ABCとパターン3Bは、教師としてどう対処すれば良い?
肯定すると、10人中9人とか、20人中19人の生徒が失敗して挫折を味わう。
否定すると、多数の生徒が救われるが、10人に1人とか20人に1人しかいない才能の持ち主が育たない。

より数多くの生徒を救うのが「善意」だ。
だが、それで本当に良いのか?
結局、本当に才能のある生徒は、教師に反して独学で育つしかないのか?
それがジレンマだ。

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November 27, 2012

告知

月刊科学雑誌「ニュートン 2013年01月号」に 「となりの恒星をめざせ 太陽系を飛び出し,50年で恒星間を航行できる探査機を実現できるか?」と言う記事で取材協力してる。
(しかし、同じ号の他の記事での協力者も吉川さんとか井田さんとか知った人ばかりだなあ)

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January 01, 2012

あけましておめでとうございます

E256あけましておめでとうございます。

イラストは、成層圏を飛ぶ龍です。
参考になるようなものを何も見ずに、記憶だけで描いたら、こんな龍になりました。
まあ、個性的と言うことで・・

今年も、よろしくお願いします。

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August 16, 2011

夏休み・・なのに

E241この週末、土日+αで夏休みを取った。
でも、普段の休日に遊び回っているのと、仕事の方でも夏休み直前にアクティブだったので、夏休みは自粛気味。夏休みなのに、海にも山にも行かなかった。だから、ちょっと寂しい。
家から出たのは、近所の家電量販店で、古くなった冷蔵庫を買い換えたくらいかな。まあ、散財はしたけど。
ほとんど家に居た夏休みだが、半田付けだけはした。
しかし、節電のため、クーラー無し。
猛暑日の中、クーラー無しの部屋での半田付けは、クソ暑い以外の何ものでもない。効率も上がらない。すぐ、嫌になって、やめちゃう。
だから、なんとなくダラダラした夏休みだった。

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May 25, 2011

おたくの本かい?

E235「おたくの本懐」と言う本を読了した。
少し古い本だが、「おたく」を解説した本。
だが、1960年生まれの「おたく第一世代」を自負する私だが、どうも納得できない。
しょっぱなから、「おたくは車マニアを除いて運転免許を持たない」と。私が車マニアかどうかは、よく判らんが、車を運転するおたく友達は山ほど居るぞ。もちろん、車を運転しないおたく友達も居るから、要は車を運転するか否かとおたくは関係がないってこと。

元々、この本は旧題「コレクターシップ」の改訂で、その名の通り、この本の主題はコレクションなのだが、そもそも私はコレクションを趣味として認めていない。
イラストにも書いたが、私は「クリエーティブでなければ、趣味でない」と思っている。

作品を作ったり、新しい理論やアイデアを出してこその趣味であり、そう言った創造的な行為を伴わないものは趣味とは認めていない。私も読書や映画、レコード・CD鑑賞は好きだが、それらは一方的に消費するだけの行為で創造的ではない。たぶん世間一般の人よりも沢山の本を読んで映画を見ているだろうが、読書や映画鑑賞を自分の趣味と思ったことも、そう言ったこともない。むしろ戯れの時間潰しだと思っているので、これらに時間を使うことを最小限に留めるようにしている。もちろん、読書等で得た知識は、その後の創造的活動に有効であることは認める。しかし、だからと言って読書自体が目的ではない。単なる手段に過ぎない。

「おたくの本懐」の主題たるコレクションに話を戻すと、コレクションとは買ってきて並べるだけの行為は、とても創造的とは言えず、私が最も避けていた事だ。

私の趣味の中で、最もコレクションに近いのはカメラだろう。私が沢山のカメラを持っている。しかし、考えてみると私のカメラは全て実用的なものだ。カメラは「写真」と言う創造的なものを撮るための道具に過ぎない。道具だから、私のカメラは実用第一で、希少価値のあるようなカメラは一つも無い。実用的なカメラとは、性能が良く、壊れても構わないものだ。もちろん道具だから、必要な時に壊れては困るのだが、希少価値があったりして壊れることを恐れて使わないようでは本末転倒だ。だから、私のカメラは全て保守部品の入手性が良く修理が容易で、必要とあれば、丸ごと買い換えることも簡単にできる大量生産品となる。カメラに限らず、車やジーンズに至るまで、プレミア品やレア物とか限定生産とかには絶対に手を出さないので、古くなって処分するとき、中古市場に豊富に同一品があるので、下取りに出しても二束三文になるのが、ちと悲しいが。

何かを集めて、分類するだけの博物学も認めていない。少なくとも博物学はサイエンスではない。生物学は、昔は単なる分類だけの博物学だった。それがダーウィンを経てサイエンスに昇華された。

もちろん、私の考えは、万人に支持されるものだはないことは判っている。先日も博物学を認めるか否かで友人と議論したところだ。
だが、私のブログやトラ技の記事を読んだり、ロフトプラスワンで話を聞いたりしている人は、私の家にある何千冊だか数えたことも無いほどの本の話や意外とたくさん見ている映画やアニメの話を聞きたい人など居ないはずだ。そう言った事を人前で吹聴することは恥ずかしいことだと思っている。

むしろ、私が体験した珍しい事象や考えついたオリジナルなアイデアを聞きたいと思っているだろう。そう言った話をできるように普段から心がけている。
学生時代から、30年以上に渡って「クリエーティブでなければ、趣味でない」の持論を追い求めたことが、今の私につながっている。

おたくとは、趣味と同じく本来創造的なはずだ。
「創造的でなければ、おたくではない」

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May 01, 2011

絵本「かがくのとも」

E233「かがくのとも」と言う子供向けの絵本雑誌、現在発売中の2011年6月号の付録小冊子に記事を書いた。
久々の書き込みが、告知になって申し訳ない。

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January 02, 2011

除夜の鐘

E229今年の年明けは除夜の鐘からだった。
大晦日の夜11時ころから、近所のお寺に行って、除夜の鐘を鳴らす列に並んだ。
11時55分くらいに住職さんが来て、お経を上げ、0時ジャストに一つ目の鐘を鳴らすと、後は、一般の人が鳴らす。
早くから並んでいたので、8番目に鐘を打った。
なかなか、良い年明けである。

並ぶのが意外と長くて寒かったのだが、私のすぐ後に並んでいたギャル系の女の子も、住職さんが来たら、それまでかぶっていた毛糸の帽子を脱いで、直立不動でお経を聞いていた。みんな礼儀正しいんだなあ。

と言うわけで、
あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願いします。

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