研究日誌保存版の更新
マツドサイエンティスト・研究日誌 保存版を更新した。
二週間前に買ったフィットにカーオーディオを付けた。
元々、オプション無しで買ったフィットなのだが、オーディオだけでなく、時計も無いと言う寂しい状態だった。
オーディオを付けるため場所は、 2DIN と言う規格で空いたままになっており、ボール紙でふさいでる。
で、あまりにも寂しいので、2DIN に合ったカーオーディオとかカーナビとかを探した。
秋葉原でも探したのだが、カーオーディオを扱っている店も、かっての賑わいはなかった。今どき、自分でカーオーディオを付ける人もすくないのか。
イエローハットとかオートバックスを探しているうちに「オートバックス走り屋天国セコハン市場!」と言う店で面白いものを見付けた。
ここは、名前の通り、オートバックス系列の店なのだが、中古品を扱っている店だ。
そこにあったのは、新型フィット専用のカーオーディオだ。2980円と、あまりに安いので店員さんに聞いてみる。
「もっと良いカーオーディオとかカーナビを付けた、お客さんから買い取ったもので、他の車種に付けようがないから安い」のだと言う。
なるほど、オートバックスの系列店だから、オートバックスで新品をかった客から取り外したものを売っているわけか。
一週間は取りおきしてもらえると言うので、一週間悩んだ結果、やはり付けてもらうことにした。
自分で付けると、もっと安くなるのだが、妻が嫌がる(新車を傷付けられると思っているらしい)ので、追加で6300円払って付けてもらった。それでも、1万円以下で済んだ。厳密に比較したわけでないが、ディーラーオプションより安くついたと思う。
フロントスピーカーは最初から付いているので、新型フィット専用のカーオーディオを付けるだけで音が聞ける。
さすがは昨年11月に発売されたばかりの最新型なので、CDだけじゃなくて、mp3 や WMA を入れた CD-R も再生可能だ。試しに Zaurus 用に作り貯めた mp3 の 130曲を CD-R に焼いてみたが、ちゃんと聴ける。これで、AAC に対応していれば、文句無いのだが。
その上、AUX 入力端子がフロントに出ているので、iPod は、両側ピンジャックのケーブル一本で接続完了。これまた、快適。
やっぱり、オプションなしでフィット買ったのは正解だった。
とは言え、この話、他の人には余りすすめられない。と言うのも、単独車種専用のカーオーディオは、余りに売れないので、最近では中古店でも扱わなくなっているとのことらしい。私が、フィット用のカーオーディオを手に入れられたのは、非常に幸運だったようだ。
後は、カーナビだな。
ポータブルカーナビの性能が良くなっているようなので、それを考えている。
秋葉原で大変な事件があったようだ。
今日は秋葉原に行っていないので、私は大丈夫。一応生存確認をかねて報告。
妻の友人まで、「テレビで秋葉原の事件を見たけど、お宅のご主人、大丈夫?」と電話をかけてきた。(<=この文中の「お宅」は「ヲタク」とは直接関係は無い)
私って、そんなに秋葉原に入り浸っているように思われているのだろうか?
実際、今日は秋葉原に行く予定だったんだけど、浜松で行われた ISTS って言う学会に金曜日まで行っていた疲れと、妻と一緒にオートバックスやイエローハットにカーオーディオとかカーナビを見に行くために取り止めたんだよねえ。
野田宇宙軍大元帥こと野田昌宏氏が永眠されました。
私もハンドルネームに「野田司令」を使うこともありますが、これは大元帥の影響に他なりません。
野尻ボードにも生前の思い出を書かせていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。
今日、新車が納車された。ホンダ FIT だ。
(新型フィットは Fit ではなく、全て大文字で FIT と書くらしい)
なんと最低グレードの 1300CC。その上、カーステやナビなどのオプションは一切付けなかった。
一部では「漢らしい」とも言われたが、納車された車のカーステやナビの部分が、本当にガランドウになっていたのはビックリした。20年前なら、プラスチックの蓋でも付けて居たはずなのだが、それもない。何もオプションを付けないと言うのはホンダでも想定しなかったようだ。(100万台も売れたフィットで、カーステやナビを付けなかったのは私一人なのか???)
まあ、次のボーナスにでも、カーステかナビを買って付けるから、それまで何も無しでも別に良いが。暇が余っていれば、デジタルアンプでも自作するんだが、今は、その暇が無いのが残念である。
今まで乗っていた車は、ファミリーカーなのだが、ちょっと遊びの要素が入っていた。エンジンは、ロータス・エリーゼやケータハムにも使われたものと同系列のローバー K ユニット DOHC で、ハンドリングにも英国車風のワインディング向けの味付けになっていた。
その反動で、今回フィットを選んだのは、パワーレス覚悟で、実用性と低燃費を徹底的に狙った車を試したかったからだ。ところが、フィットは意外とパワーがある。VTEC を使って、低燃費とパワーを両立させているらしい。
低燃費のコンパクトカーは、他にもあって、候補に上がったのは、フィット以外にはマーチ、ビッツ、スイフト、デミオなど。
で、何で、最終的にフィットを選んだかと言うと、運転席に座ったときの視界の良さである。
異常にフロントガラスが大きく、その上、ドアミラーよりも前にあるサイドのAピラー部にも大きなウィンドウがあって広い視界を確保している。
で、なんか、この視界の良さと言うか雰囲気、覚えがあるなあ・・・・ と思って、しばらく考えていたら判った。
外界が透けて見えている時のエントリープラグに、そっくりなんだ、これ。
八谷さんが、「『メーヴェのようなもの』のジェットエンジンの燃焼試験をやるので見にきませんが?」と言うので、今日は仕事を休んで見に行った。
模型用ならともかく人が乗る飛行機のためのジェットエンジンを個人で持っている人なんて滅多にいないし、ましてや機体に搭載する前の段階でジェットエンジンの燃焼を見る機会もほとんど無いから、ワクワクである。
さて、某大学の敷地内でテストスタンドを立て、燃焼実験の開始である。
ジェットエンジンは、意外な程小さい。だが、小さくても本物、ちゃんと推力が出る。
最初、始動するのに手間がかかり、何回か点火しそこねた。
燃料は、ケロシンと言っても灯油そのものなので、点火直前は、音といい臭いといい、石油ファンヒーターと同じである。
だが、ひとたび点火すると豹変する。
凄まじい音と熱が周囲を包み、熱風を噴射する。イヤーマフや耳栓をしていないと辛いだろう。
燃焼が安定し「本気モード」に移行した途端、思わず大笑いしてしまった。
楽しくってしょうがない。
八谷さんによると、間近でジェットエンジンの点火・燃焼を見ると、ビビる人と笑う人の2パターンに分かれるそうだ。私は、笑う人の典型だ。こう言うの大好きだからねえ。
「本気モード」になった以降は、燃焼は安定したものだ。
推力は、以前、夏に試験した時の一割増しだと言う。今日は、明け方、初雪がパラついた寒さだったので、空気が収縮し、密度が上がっているため、インテークから夏よりも多い空気を吸い込む事ができるので、推力が向上する。
と順調に一回目の試験が終わったのだが、二回目の試験は始動用プラグのためのバッテリーが上がってできなかった。気温が低いためにバッテリーが上がったのだと思われる。寒いのは良いこともあれば悪いこともあるんだねえ。
片付けた後、大学内の食堂で昼食を食べる。
食堂には、何故か、メイド姿の女の子が居た。
給仕しているわけでは無く、テーブルに広げた本とノートを見て勉強しながら、普通に昼食を食べていた。文化祭の季節でもなく、模擬店の休憩時間とも思えない。仮に文化祭の出し物の休憩時間だとしても、完璧な扮装のまま食事をする必要など無いだろう。
彼女の存在が、本日最大の謎であった。
夏!
うだるように暑くて、空が抜けるように青かったら、行くべき場所は海か山しかない。
だが、子供たちは山登りは嫌だと・・
と言う訳で、お盆の夏休みに一家で海水浴に行った。
息子は岩場で磯遊びをしたい、娘は砂浜で泳ぎたいと言う。両方を叶える海水浴場を探した。湘南や房総半島は、私の家からは意外と不便な上、混雑している。なかなか条件のそろう場所は無かったのだが、常磐道沿いに、とある田舎の海水浴場が見つかり、そこへ行った。
大潮の日だったので、干潮時は磯に潮溜まりが沢山。その中には、カニ、ウニ、ヤドカリ、イソギンチャクなど、いっぱい居る。砂浜の方は、少し風があって波が高かったのだが、沖にさえ出なければ、泳ぐのに全く問題が無い。
まるで、アニメかゲームの「夏休み」のヒトコマを、現実にしたかのような風景だった。
久々の「夏休み」を堪能して帰宅したら、皆、風呂に入れないほど、日に焼けて居た。
ここ何週か、M大学の経営学部の一年生を相手に講義をして居る。大学生に講義をすること自体は珍しくないのだが、普段は理工学部が多く、経営学部のように文系の学生に教えることは滅多にない。
文系の学生は、理工学部と違い、女性の比率が高く、また男女ともファッショナブルで華やかである。
こう言った外見上の差異よりも、ずっと大きな違いは内面的なものだ。理工学部の学生の場合、私が教える事、つまりサイエンスやエンジニアリング、モノ作りに対して、既に価値を見出して居る。
それに対し、文系の学生は、そう言った事に価値を認めて居ない訳で、そう言った学生相手に、話が通じるかが、最大の課題になる。少なくとも、最初の講義の前は、そう考えて居た。
だが、実際に講義を始めると、私の話に、それなりに付いてくる。ちゃんと、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りの面白さを伝えようとするところに興味を持ってくれるのだ。
M大学・経営学部の講義は、今年が初めてではなく、数年続いて居る。
数年の間に、私の最初の考え方は、抜本的に間違って居るのでは無いか・・と疑問に思い始めた。その疑問は、今では確信に変わっている。
文系の学生の彼ら/彼女らは、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りに対して、価値を認めないのではなく、そもそも、そう言ったものが面白く興味深いと言うことすら知らないのだ。
私の憶測なのかもしれないが、どうも、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りとは、決まり切った法則とか真理とか方法論を覚え、実行するだけのつまらない事だと誤解しているようだ。
私が実例を含め、そう言った分野で、新たな理論や方法論を自分で考え、創り出す事が、いかに楽しく、興味深いことであるかを示すと、教室の全員ではなくても大半が興味を持ってくれる。
なぜ、そんな誤解が生まれるのか?
まあ、高校までの授業で、押し込め教育で、理科や数学が嫌いになった学生は、当然なのか!?
いわゆる、理科離れとか、モノ作りの崩壊と言う奴か?
もっと、早い時期に、サイエンスとかモノ作りの楽しさを伝えていないのが、いけないのか?
だが、理科教育に熱心な親御さんの中にも、本当の意味で、サイエンスを理解していない人が多いような気がしてならない。
理科に興味を持たせるために、面白そうな科学実験を見せる。だが、ショーと化したサイエンス実験は、本当のサイエンスじゃないんだ。いくら不思議に思えて楽しそうな実験でも、最初から結果が判っている実験は、本当の意味での実験じゃない。
実験は、それをする人の仮説が、正しいかどうかを検証するための方法で、実験するまで、誰も上手く行くかどうか判らない、それでこそ、科学的な実験なんだ。失敗を重ねて、初めて成功する喜び。そして、仮説が新しい理論へと生まれ変わる一瞬。
サイエンスだけでなく、エンジニアやモノ作りでも、自分で考え工夫した方法や仕組みが上手く動いた時の嬉しさ。
そこに面白さもあるし、創造性もある。
そして、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りは、特別な教育や訓練を受けた一部の限られた人だけの特権ではなく、誰でも、やれることだ。
本当に、サイエンスやエンジニアリング、モノ作りって、創造的で、面白くって、興味深いことなんだよ。
もっと、声を大にしてアピールしなきゃ、いけないのだろうね。
昨年の夏に話題になった2作品を見た。完全に一年の流行遅れだ。
両方とも、中年のオジサンが見るにはちと恥ずかしい作品だ。が、昨年から松浦さんをはじめ、多くの人が絶賛しており、今年の星雲賞は、この2作品の一騎打ちだと言われて居るほどようなので、両方とも見た。
一つは、涼宮ハルヒ。ハンダ付けの合間に、アニメと原作小説の既刊全冊を一気に見た。
なるほど、面白い。身も蓋も無く言ってしまえば、他愛のない良くある話なかもしれないが、逆に徹底的に他愛のない話に徹して描き切ったのが良かったのだろう。しかし、このアニメ、この順序で放映して視聴者が良く引かなかったねえ?
ところで、SOS団の三人組は往年のNHKドラマの「タイムトラベラー」「なぞの転校生」「まぼろしのペンフレンド」のオマージュだと思うんだが、どうなんだろう?
関連で、同じく一年遅れで、長門有希の100冊と言うのも見つけた。これを見ると、「太陽の簒奪者」と「海を見る人」が入っているではないか。と言うことは、あとがきまで飛ばす事なく読んだなら(あとがきどころか、ISBN番号まで飛ばす事なく読むような気がする)、少なくとも2回は、私の名前が読まれたことになる。これは光栄なことなんだろうだなあ。と、良く見ると、いつの間にか文庫判の「太陽の簒奪者」のあとがきに原作者の谷川氏が加わって居るでは無いか。こりゃ、あとがきを読み飛ばすことは無いか。
もう一作は、アニメ「時をかける少女」。原作は既に35年前から何度も読んで居し、ドラマや映画になった作品も何度も見て居る。二十数年前に原田知世が主演した映画版には完全にトチ狂って、ロケ地尾道・竹原巡礼までしたほどだ。
いやはや、今回のアニメ版は良くできて居る。全盛期の宮崎駿が「時をかける少女」を作ったら、こうなるんじゃないかと思ってしまった。トトロのサツキとメイが高校生になったら、このアニメの主人公のようになるんじゃないかな? 見て居る方が恥ずかしくなるほどにストレートに喜び、走り、泣く。
両作品に共通して居ることは、ストレートな演出なんだと思う。もちろん、SF的要素を入れた時点でヒネって居るのかも知れないが、話の主題は両方ともヒロインの精神的な成長を正面から描いているだけだ。逆にSF的要素を入れたからこそ、本題をストレートに描けたのかもしれない。そのストレートさが好感持てる。
しかし、まだ、こう言った話を面白がる若さ(馬鹿さ?)が、自分に残って居たとは、少々驚きである。既に書いたが、原田知世とかにトチ狂っていた時期もあるので、そう言った素養がある事は承知して居たが、四十過ぎても進歩なしか。とは言え、つい先日も島本須美(ナウシカやクラリスの声優)に「野田司令!」と言ってもらった録音を、同年代の東大のN教授に聞かせて悔しがらせて喜んで居たのだから、まあ、どうでも良いか。
さて、なんで今頃、昨年夏の作品を見たかというと、昨年の夏はそういう小説とかアニメを見る余裕が全く無かったからだ。昨年は公私ともに忙しくて、娯楽作品を見る精神的な余裕は無かった。とは言っても、私の2006年夏は、つまらない夏を無為に過ごしたのではない。それなりにエキサイティングな夏を過ごした。どうエキサイティングな夏だったのかは、まだ書ける時期ではない。もう少し落ち着いたら、書こうと思っている。
ゴールデンウイークも今日で終わりだ。今日は雨だったが、比較的天気の良かった今年のゴールデンウイークだが、ほとんど余り出歩かずに居た。もちろん、「最近の若い者は・・・」でも書いたように、ゴールデンウイーク初日の4月28日は東京で講演をしたのだが、それ以外の日は、家の近所から離れる事は無かった。
実は、ゴールデンウイークが始まる前から体調が悪く、病院で検査してもらっている最中だった。
結局、ゴールデンウイークの最中の5月2日に検査の結果が出、大した事が無いことが判ったが、それでも疲れているようだと言われたので、大人しくしていたのだ。と言うわけで、家の中で工作をしたり、近くの公園などで子供と遊んだりすることにとどめた。
そんなわけで、あまり変わった事は無かった今回のゴールデンウイークだ。が、一応、トピックを言うと、一つは新しいゴム動力機の胴体を作った事だ。
「スランプ」の記事以降、ゴム動力機を飛ばしていなかった。どうも、最近飛ばしている「ビーグルⅡ世号」は、ゴムが入る胴体の細くゴムのフック間が短く十分な量のゴムが入らない事が原因で、良く飛ばないと思われたのだ。で、胴体の内径を太くし、フック間を長くした胴体を新たに作ったのだ。計算上、これで、2倍近い量のゴムが入るはずだ。なお、胴体の全長など、外観上の寸法は変えていない。
実は、この新しい胴体は、今年はじめに設計を終わらせていて、1月から3月にかけて作っていたが、失敗していた。胴体は、チューブ状にしたスチレンペーパー2枚を内側と外側にして接着剤で貼り合わせる。ところが、今年の1月から3月は、公私ともに猛烈に忙しかった。少ない時間を見付けては工作していたのだが、2枚のスチレンペーパーを貼り合わせる接着剤にムラがあったのか、工作をすする内に剥離が始まり、修復が不可能となったのである。やはり、心に余裕の無い時には工作も上手くいかない。結局、この第二胴体は諦め、ゴールデンウイークに第三胴体を作り始めた。
第三胴体は、まだ八割程度しか完成していないが、心に余裕を持って作っているので、上手くいきそうだ。
他には、子供や友人と液体窒素を使った科学実験をしたのが、面白かった。ゴムボールや花を入れると凍り付いてバラバラになる。
それら以外は、近所を自転車で走ったり、子供とバドミントンしたりで汗をかいた位だ。
私のように普段室内で働く職業では、汗をかくことは、ストレス発散になる。また、良く「細かい工作をすると、かえって疲れないか」と聞かれるが、手を動かしてモノを作ることもストレス発散になると思う。
ゴールデンウイークで、大分ストレス発散して疲れを取ることができた。
さて、休みがあけたら、改めて頑張るか。
もう気が付いて居ると思うけど、一応断っておくが、昨日の「マツドサイエンティスト研究所 正式オープン」の記事は「エイプリル・フール企画」であり、全くのウソである。いや、ウソと言うよりホラだろう。
もし本当に信じたという人が居たなら、心からお詫び申し上げたい(本当に信じた人が居たのだろうか??)
内容的には、昨日の記事の「マツドサイエンティスト研究所 正式オープン」は全くの法螺話だが、そこに含まれる私の心情に嘘は無い。
私は、心の底から「マツド・サイエンティスト研究所」を造りたいのだ。
大学や国研、民間の研究所で研究されている方々の中には、昨日の記事の中で、研究対象を選択するプロセスを苦笑いと共に共感された方も多いのではないだろうか?
現在の日本(日本以外も?)の研究機関では、「論文が書けて、巧く行って、役に立つ」研究や実験しか認められない。「不可能に挑戦する」ような「失敗の可能性の高い」研究や実験などできようもない。
昨日の記事にも書いたように「不可能を可能にする研究」とは、失敗を恐れずに挑戦し、それらが十の内九つが、百のうち九十九が失敗して、はじめて一つが成功するような厳しい現実なのだ。
ところが、一方で、国家の税金を使うような大学や国研で、百のうち九十九が失敗するような研究に血税を無駄にすることはできない。
ましてや、利潤の追求が目的の民間企業の研究機関で、失敗確率の高い研究などできるはずはない。
従って、「不可能に挑戦」するためには、国の補助をあてにせず、利潤を追わず、たた「興味深い」「面白い」と言った科学者(別に博士号を持っていようが居まいが)のモチベーションだけを原動力に、研究するような場が必要なんだと考えて居る。
このようなモチベーションが、現場の科学者に全く無いかと言うと、そんな事は無い。
十年ほど前に、私の属する組織で、アフター5の集まり、つまり同好会として「恒星間飛行研究会」を主催したことがある。この時、多くの人(正確には技術者)が毎週集まり、「恒星間飛行」と言う「不可能と思える対象」について熱く語り合った。
もちろん、基本的に国税を使う私の組織で、「恒星間飛行」などと言う荒唐無稽(に限りなく近い)研究が正規の業務になろう筈もない。
しかし、決して多数派ではないが、それでも幾人かの人は、こう言った「不可能に挑戦する研究」に対して、強いモチベーションを持つことが判った。恒星間飛行研究会は、給与の出る業務どころか逆に自腹を切る必要があるのに参加する人が何人も居たのだ。(ちなみに会費は一回500円であり、その大半はデリバリーのピザに消えた。なお、野尻氏の小説「沈黙のフライバイ」に出てくる同名の「恒星間飛行研究会」では参加者が減り続けるが、現実の「恒星間飛行研究会」では参加者が減ることはなかった)
「恒星間飛行研究会」を通じて、もう一つ大きな事を知った。それは、恒星間飛行のように「業務として認められて居ない事」を議論する機会が無く、そう言った機会に飢えて居る人が大勢居ることだ。もちろん、就労時間内に業務以外の議論をすることはいけないことだ。しかし、休み時間やアフター5に至っても、そう言った話題を避けてしまう傾向にあるようだ。
「不可能に対する挑戦」は、誰も味方が居なくても、たった一人で研究を続ければ良いかと思うかもしれない。だが、一人だけで考え続けることは決して良いことではない。客観的な検証ができず、独善的な思考に入って行く危険が大きい。結果、「トンデモ系」に陥る可能性が高い。
志を同じくする仲間が、健全な議論を続ける中で、理論が磨かれ、成長し、やがて革新的なものへと昇華される。
湯川秀樹と朝永振一郎が中学・高校時代からの同級生(正確には中学時代は朝永が一年上だったが、健康がすぐれず休学、高校で同級生となる)親友だったことも、ニュートンとハレーに友好関係があったことも決して偶然では無いと思う。たぶん、彼らは個別には、それほどの高みまで昇ることは無く、お互い影響し刺激しあいながら、成長して言ったんだと思う、きっと。
小説や漫画の中のマッド・サイエンティストは、一人で大発明するが、実際は、一人だけでは、そうは大したことはできない。1+1が3に、2+2が10にと、人が集まることで相乗的な効果が生まれる。そして、それが革新的な研究には不可欠な要素なのだ。
「恒星間飛行研究会」の話に戻ると、「業務として認めれて居ない研究は、雑談の話題にすることすらはばかられる」恥ずかしい事だと思われている事実だ。
本来、画期的な研究には、志を同じくする者が集まり、議論することが不可欠だというのに、そして、同じ志を持ちモチベーションを持つ者が多数居たにもかかわらず、私の属する組織では、それを生かす土壌が(例え、休み時間やアフター5と言えども)決定的に欠いていることだ。(「恒星間飛行研究会」は数少ない例外と言える。なお、「不可能に挑戦する研究」が酒の席で話題になることはある。だが、アルコールが入った状態で真面目な検討などできる訳は無く、馬鹿話で終わってしまう)
私の経験は、私の専門分野である宇宙開発や所属する組織に片寄った経験である。だが、多少の違いはあれ、ほかの分野、例えば、生物学、医学、化学、量子力学、数学など、私の専門分野と全く事なる分野でも、同様の傾向にあるのではないだろうか?
また、私の属する組織より、ずっとリベラルな研究機関もあるかもしれないし、逆にもっと固まった機関もあるかもしれない。いずれにしろ、大なり小なり程度の差こそあれ私の属する組織と同様に、「不可能に挑戦する研究」を育む土壌に欠けて居るのではないだろうか?
10年程前の「恒星間飛行研究会」の時代以降に、私は「異種専門分野のコミュニケーションの重要性」を知った。「恒星間飛行研究会」では、メンバーが私の属する組織に限られて居た。その組織の中でも、各種の分野(たとえば、推進系や電源系、通信系と言った色々な分野)の専門家が集まっただけでも活発な議論ができた。しかし、各種の分野の専門家と言っても、所詮は宇宙関係の専門家であり、片寄りがある。
ここ何年か、交友関係が広くなるに従って、この事に気付いた。全く異なる分野のコミュニケーションは、相互に強い刺激を与える。この刺激が新しいものを生む。
どうすれば、「不可能に挑戦する研究」ができるのか?
それが「マツド・サイエンティスト研究所」である。
第一に、仕事や業務や義務から離れた場所で、自由に研究・実験・ディスカッションできる場所を設ける。
第二に、研究テーマに対して、ノルマも説明責任も無い。
第三に、その代わり給与も無い。
こう言った「研究所」を造ることが良いのではないか・・・、そう考え始めたのは、数年前だ。
もちろん、こう言った「研究所」が本当に造れるのか、極めて不確かだ。
現在は、私の頭の中で、理想論を思い浮かべて居るだけの状態で、実際に「マツド・サイエンティスト研究所」を上手く運営できるか判らない。
モチベーションだけで給与の出ないような研究所に研究員が集まるのか、他に職業を持つ人が研究を維持できるのか?
「トンデモ系」や「疑似科学」に陥らないようにできるのか、ノルマや成果を問われない状態で研究を維持することができるのか?
数え出したら、キリが無い。
そもそも、国などの補助に頼らず、実用性を問わず成果が期待できない研究では、全く利益・収入が期待できない状態では、ディスカッションに必要な会議室を借りる事すらできないだろう。ましてや、実験に必要な機器類に至っては、言わんやおやである。
「マツド・サイエンティスト研究所」自体が、青臭い荒唐無稽の理想論なのかもしれない。
だが、「マツド・サイエンティスト研究所」が本当にできたら、それは「人類への貢献」になるだろう。そう信じて居る。
今の今まで、「成果を問わない、役に立たない、論文の書けない」研究だと言い続けたのに、急に「人類への貢献」とは、どうしたことかと思われたかもしれない。それは、「マツド・サイエンティスト研究所」の研究対象は、仮に上手く行き、実現でき、役に立つことがあったとしても、100年200年かかると思われるからだ。ガリレオやケプラーの研究が本当に役に立ったのは、その死後だし、ニュートンですら、本当に「役に立つ」のは、数百年かかったのではないだろうか?
ロケットの基礎理論を作ったツォルコフスキーの研究は実現するのが極めて早く、彼の存命中に有人月着陸が成し遂げられた。この「極めて早く」実現された例ですら、実現には60年以上かかっている。
本当に「人類に貢献する」ような研究は、役に立つまで何十年も何百年もかかるものも多いはずだ。目先の成果にとらわれているような従来の研究機関では、そんな悠長な研究はできない。
だから、短期的な「ノルマや実用性」を問わない「マツド・サイエンティスト研究所」が必要なのだ。
実際に始るのは、私の定年後だろう。それまでに、まだ時間もあるし、実際に「マツド・サイエンティスト研究所」を造る良い方法でも思いつくかもしれないと、アイデアを暖めて来た。
あまり、人には言わないようにしていた。
実は、少しは言ったことがあるのだが、余り受け入れられなかった。
一人で考え続けていたのだが、半月程まえ、中須賀先生を始め、3人の研究者・科学者と夕食を取る機会があり、「定年退職したら、マツド・サイエンティスト研究所を作りたいんだ」と食事の時の話題として、冗談半分のつもりで話した。ノンアルコール状態だったし、3人が3人とも私よりも、ずっと研究所らしい研究機関で研究を続けて居る人だったので、この話が受け入れられるか不安だった。
中須賀先生は、真面目な顔で「野田さん、それは定年退職後とは言わず、今すぐ始めるべきだよ」と言い、他の2人も賛同してくれた。「マツド・サイエンティスト研究所」を実際に作る話に賛同してもらったのは、これが初めてだ。
中須賀先生は「まず、看板を掲げるんだ。最初からハードウェア(色々な実験施設のこと)を作るのは無理だから、人が集めれる場所を確保することから始めれば良い。看板を掲げれば人が集まるから、それから少しずつ進めて行けば良い」と続けた。
松戸駅(別に松戸にこだわる必要は無いのだが。そういやバンダイミュージアムの跡地は、どうなったっけ?)などの駅の近くにある雑居ビルの窓に「テナント募集中」と貼ってあると、「あの部屋を借りて、『マツド・サイエンティスト研究所』と看板を出したらどうなるかな?」と思う。
一般の人からは、何か詐欺の会社か、怪しい団体か何かと思われるんだろうな(「怪しい」と言う部分はあっていると思うけど)
この話、どうなるのか?
私にも判らない。
本日、マツドサイエンティスト研究所が正式にオープンした。思えば、ホームページを開いて9年、ブログを公開して2年の長い道程であった。これまで、バーチャルな存在でしかなかったマツドサイエンティスト研究所が本日をもってリアルな存在になるのだ。
マツド・サイエンティスト研究所の本部はマツド駅から歩いて数分のビルにある。一見すると雑居ビルの一画を借りて居るように見えるが、実は、ビル全体が一つの要塞に改造してある。
二階から三階は、受付や事務所およびミーティングルームだが、四階から上は各種の実験設備だ。
四階は生物学用研究/実験施設になっており、P4クラスになっているので、遺伝子操作などの実験がやりたい放題だ。
五階は物理学系の施設で、放射線実験施設、粒子加速器、レーザー高温炉等が用意されて居る。
六階は宇宙航空関連で、熱真空チャンバーや極超音速風洞、高々度燃焼実験設備など、ロケット/人工衛星/宇宙船などの一通りの試験が可能になっている。
最上階は天文学のエリアで、赤外線干渉計や12メートル径の光学望遠鏡を始め、世界屈指の観測設備がある。難点はマツド近辺の大気や光害は天文観測に向かないことだ。
地下は、万一のために100GW級の自家発電機が三基設置してある。
もちろん、マツド・サイエンティスト研究所のある雑居ビルの裏山は、宇宙船の発射基地になっている。事あれば、裏山は真っ二つに割れ、中から巨大なロケットが現れる。
一階はカモフラージュのために、コンビニエンスストアとファーストフードの店が入って居る。
マツド・サイエンティスト研究所に用のある方は、この二つの店の間にあるエレベーターで二階の受付に行ってほしい。なお、二台あるエレベーターの内、一台は無重力実験用の落下塔に改造してあるので、くれぐれも間違わないように気を付けてもらいたい。
マツド本部では、将来手狭になることが予想されるので、支所を作る予定だ。
マツド・サイエンティスト研究所の支所は、火星と木製の間にあるD型の小惑星を改造して作られる予定だ。太陽から約4億キロメートル離れた場所にあるD型小惑星には水が豊富にある。
ここを改造して、植物を育て、自給自足の研究所を作る。
また、地上では、製造困難だったり危険性の高い実験設備を建造する。例えば、直線距離100キロメートルを超るリニア型の粒子加速器や反物質エンジンの燃焼実験施設を設ける予定である。遺伝子操作等の生物実験なら、汚染・感染の心配が無いから、何でもできる。
候補となる小惑星は、文字通りゴマンとあるので、現在、不動産ならぬ浮遊産物件の調査中だ。
リアルになったからと言って、マツドサイエンティスト研究所の本質は変わらない。
常に不可能とも思える研究対象に挑戦することが、マツドサイエンティスト研究所の本分である。
例えば、「空間を曲げる」「光速を超る」「時間を逆行する」が、この「不可能とも思える研究対象」だ。
また、「本当は可能なんだけれども、なかなか実現・実現できないことに挑戦する」事もマツド・サイエンティスト研究所の研究対象になる。
例えば、「反物質を使った推進システムの燃焼実験」とか「恒星間航行」が、この分野になる。
これらの研究・実験は面白いのだが、実用的な価値は全く無い。
いや、本当に実現可能なら、実用的な価値も在るかもしれない。が、実現可能だという保証も何も無いから、「実用的な価値が在る可能性は極めて低い」と言うのが正しい言い方だろう。
同じく研究や実験が巧く行く可能性が低いので、「論文を書ける」可能性も極めて低い。
「反物質を使った推進システムの燃焼実験」に至っては、やればできることは分かって居るので、「論文を書く」価値も無ければ、実用化の可能性も低く、その上、ガンマ線が出てくるので迷惑この上ない。
これらの理由のため、マツド・サイエンティスト研究所の研究対象は、既存の研究所では扱うことができなかった。
例えば、大学の研究としては「論文が書けない」時点で駄目だし、民間企業の研究施設では「実用性が無い」事から、利益にならないことでネックになる。
国研(国立の研究機関のこと、最近は独立行政法人になって居る)に至っては、予算獲得の時点(研究・実験のスタートの数年から十数年前)で、「論文が書ける事」なおかつ「国民の生活に役立つこと≒実用性があること」が証明されて居ないと駄目なので、「論文も書けず、実用性の無い研究」などお話にならない。
だが、研究は本来「不可能か可能か判らない領域」に踏み込まなければならないことがある。実験は「理論だけでは不可能か可能か判らないから、実際に確かめる行為」だ。
逆に言えば、すでに「不可能か可能か」の答えのある研究は、価値が薄い。巧く行くことが判って居る「実験」などは「実験」ですらない。
残念ながら、前述したように民間企業の研究所や大学の研究室/研究機関、国研では、これらの研究が扱えなかった。そこで、設立されたのが「マツド・サイエンティスト研究所」だ。
「マツド・サイエンティスト研究所」は、利潤を追求する研究をしない。また、国などから補助も受けて居ない(補助金を申請する「理由書」すら書けない)。
そのため、研究員に対する給与は一切無い。研究を志す者は、生活費を別に稼がなければならない。
その代わり、研究員には義務もノルマも無い。
研究に対する実用性などの説明責任も無い。ただ、好きな研究に没頭すれば良いのだ。そして、その研究が面白ければ、それで良い。
研究員には、給与が支払われない代わりに、マツド・サイエンティスト研究所の豊富な研究設備を自由に使うことができる。
もちろん、同じくマッドなサイエンスを志すもの同志の口角泡を飛ばすような議論を行うことも可能だ。
マツド・サイエンティスト研究所の研究員となり、研究となる事は簡単だ。
誰でも「面白い研究課題」を持って来てくれれば、研究所に参加できる。
ただし、断っておくが、「トンでも系」や「オカルト系」の「擬似科学」を扱うつもりは無い。
あくまでも「常識では不可能と思われる事」に挑戦する事が目的だが、研究の方法論は、常に科学的な論理展開や実験実証を旨とする。
とは言え、常に革新的な研究は「非科学的」とレッテルを貼られる可能性が高い。かの19世紀最大の天才と言われるケルビン卿でさえ「空気より重い物は飛ぶはずが無い」と言ったり、ニューヨークタイムズが、近代ロケットの父と呼ばれるゴダードを危険人物と決めつけたり、そう言った例は後を絶たない。
「不可能への挑戦する研究」が、必ず成功するとは思って居ない。それどころか、「不可能への挑戦する」が成功し「不可能を可能にする」事は、十に一つか、百に一つかもしれない。
だが、十に一つ、百に一つであっても良いではないか。たった一つでも「不可能を可能にする」ことができれば、マツド・サイエンティスト研究所としては十分な成果なのかもしれない。
たった一つの「不可能を可能にする研究」を成すことも、「不可能と思われる研究」を全て放棄していては、絶対に成しえることは無い。
マツド・サイエンティスト研究所は、失敗を恐れずに「不可能に挑戦する場」を与える研究所だ。
「不可能だと思われる事」に「常に真面目に科学的な方法論」で挑戦する。
そう考え続けた結論が、マツド・サイエンティスト研究所だ。
「のだめ」が面白い。原作の漫画もドラマもだ。
別に、主人公の名字が私と同じだから言う訳でも無いが。
この漫画・ドラマ、全体的に面白いのだが、特に面白いと思うことが2つある。
一つは、「熱血もの」だということだ。
漫画の「のだめ」もドラマも熱血ものだ。一見ドタバタコメディのように見せかけて、実はスポ根ならぬ音楽根性ものが「のだめ」の正体だ。
正直、こんなに真剣に音楽に取り組んでいるキャンパスライフがあるとは知らなかった。
私は、音楽、特にクラシック音楽に関しては全く知識が無い。音楽学校/大学に足を踏み入れた事すら無く、恥ずかしい限りである。
音楽に対する知識が無く、「のだめ」が、どれほど真実に忠実であるかどうか語ることはできないが、ドラマや漫画で見る限り、素晴らしいというか、羨ましい学生生活が伝わってくる。
音楽に関してウンチクを述べる事はできないので、キャンパスライフの方に話題を振る。
音楽大学には敷地内に足を踏み入れた事の無い私だが、理学系/工学系大学なら数限り無く入ったことがある。学生時代に私自身が通った大学もそうだが、今現在も大学に行くことが多い。
その工学系の大学にもキャンパスライフはある。
もちろん、学生の中には遊びほうけている者も居るし、むしろその方が多数派だ。
だが、確実に、千秋真一のように、その分野に対して真剣に取り組む姿がある。
例えば、ロボットを作ったり、缶サットやキューブサットを作ったり、人力飛行機やロケットを作ったりと様々である。モノ作りに限らず、理論の構築や実験、式の展開、論文書きに真剣に取り組んで居る。
どうも、一般的には、理学部/工学部は、堅苦しくて暗いと言うイメージがある。しかし、本当はモノ作りや理論の構築だって、ロマンや情熱や感動にあふれて居るのだ。
誰か、そう言った理学部/工学部の本当の姿を、「のだめ」のように分かりやすく、面白く伝えてくれないかなあ・・
まあ、まるで無い訳じゃ無くて、映画「ロボコン」とかTVドラマ「ロケット・ボーイズ」とかあったか・・・・ 受けなかったが。
「のだめ」で、面白いと思う、もう一つは「指揮者」を題材にしていることだ。
今までの漫画やドラマなら、確実に「演奏者」の方を主人公にしたと思う。スポ根もので、野球ならピッチャーやバッター、ボクシングならボクサーを主人公にするようにだ。今までなら、間違っても丹下段平を主人公にはしないだろう。
ところが「のだめ」では、実質上の主人公である千秋真一は「指揮者」を目指して居る。
繰り返しになるが、私には音楽の知識が無い。だが、その私でもクラシック音楽における「指揮者」の存在は、以前から興味があった。
大人数のオーケストラは、音を出すことが目的の「音楽」のために編成されて居る。そのオーケストラの一員なのに、全く「音」を出さないメンバーが居ること自体、特異だと思う。だが、それ以上に「音」を出さない指揮者がオーケストラの中で中で一番偉そうにしているのだから、おかしいじゃないか。少なくとも音楽の素人としては、そう思ってしまう。
もちろん、ちゃんと音楽が分かって居る人にとっては、指揮者の存在の理由も重要性も当然のことだろう。
これ以上の突っ込みは、音楽の知識が無い私には無理なので、またしても話題を別の方向に振る。
私の仕事のひとつは、新しいアイデアの実現を「設計」する事だ。
設計の極く初期の段階で、色々な専門家が集まって討論をし、アイデアを出し合って、大まかなコンセプトを作り上げて行くことがある。
この時、討論の進行役をコンダクターつまり指揮者と呼ぶことがある。
コンダクターと言う呼び方は、あまり一般的でなくデレクターとかアーキティクトとか色々な言い方が混在して居る。が、私は昔からコンダクターと言う呼び方が気に入って居て、よく使って居る。
色々な専門家が集まる討論会をセッションと呼ぶ。もちろん、セッションには討論会の意味もあるが、演奏会の意味もある。セッションと言うと JAZZ や JAM セッションを思い浮かべるが、クラシックセッションと言う使い方もあるそうだ。
そう言えば、電子機器や光学機器などをインスツルメンツと言う時もある。この辺の名前を付けた人は、よほど音楽に引っかけたかったんだなあ。
セッションは、オーケストラほど大編成でなく、せいぜいが 10 人までの専門家が集まって行う。
コンダクターの役割は、クラシックオーケストラの指揮者と同じで、演奏しないことだ。
設計のための討論会なのに、コンダクターは設計自体や解析・計算などはしない。私が主催する、つまりコンダクターを務めるセッションに参加したことがある人なら判ると思うが(このブログを読んで居る人の中にもきっと居るはずだ)、私は専門家同士のインターフェースを取って居るだけだ。違う分野の専門家同士だと、専門用語が通じない時があるので、やさしい言葉に通訳する。
冗談を連発して滑らかにコミュニケーションが進むようにし、課題となる問題点を明確にし、その解決を方法を色んな視点から検討できるようにしている。方向性のイメージが伝わるように、たまに簡単な解析などをやってみたりもするが、本質は専門家に任せる。
専門家は、概ねソリスト(独奏家)が多い。
大編成のオーケストラに慣れて居ない場合が多いし、多分野の専門家と同時に討論すること自体に有効性を認めない事すらある。
だが、ソロ演奏では味わえないオーケストラ演奏ならではの醍醐味がある。
ある分野で完全に行き詰まって居た問題が、他の専門家の一寸したアドバイスで解決する事がある。それが連鎖的に広がると、それまで全く存在も予想できなかった新規コンセプトやシステムが誕生する瞬間がある。
「降臨」して来たとすら思える感動の瞬間だ。
偉そうな事を言ってはみたが、セッションを開ける機会は少ないし、本当に感動できる瞬間など滅多にあるものではない。せいぜいが、1年に1度あるかないかの極めて稀な出来事だ。
「のだめ」の作品中で、「身震いするほど感動する演奏ができることは本当に稀」と誰かが言ったが、まさにその通りだ。
だが、本当にあるんだよ。
設計のセッションでも「身震いするほど感動」が訪れることが。
最近のココログの不具合は、どうなってるんだろう。
さっきアップした後、しばらくして、自分のページを見直して吃驚。
「Recent Posts」、つまり新しくしたコンテンツのところに、全く違う人のコンテンツがリンクされていた。
明らかにバグだ。
本当に最近、こういった不具合がココログに多い。
困ったもんだ。
マツドサイエンティスト・研究日誌 保存版を更新した。
また、どうも最近、コメントを受けても、それが表示されなかったり、「Recent Comments」の欄に反映されない不具合が多発しているようだ。原因が分からないが、ココログの方の問題だと思う。
私が意図して、そう言う設定等をしたつもりは無い。
もし、知らぬ間に失礼をしていたら、申し訳ない。
先日のメーヴェのようなモノのテスト飛行の写真をアップする。
この写真は、撮影は私、野田篤司。
乗っているのは、もちろん八谷和彦さん。
フィルムカメラ(ニコンF3 135mmF2.8)で撮った写真を、同時プリントしたものをスキャンしているので画像が悪い。
私としては、ベストタイミングと思ったのだが、ちょっとアップしすぎで、「写真の枠の外で吊っているように見える」と浅利さんにコメントを受けた。

撮影は、笹本祐一さん。
デジカメ使用。
私が適当にトリミングしている。
先の写真より、引いているので、飛んでいるのが良くわかる。
離陸前の準備状況が良くわかる。
私は、風向き・強さを見るための「吹流し」を持っている役。
乗せてもらった。
もちろん、飛んだわけではない。
体重65kg以下と言う制限付きだったので、笹本さんは乗れなかった。
本来、ジェットエンジンを積む胴体がガランドウなことが分かる。
八谷さんが作っている「メーヴェのようなモノ」の実機のテスト飛行が26日に行われたので見に行った。
「メーヴェのようなモノ」のテスト飛行は既に4月21日に一回目が行われていて、今回は2回目の飛行である。
前回の飛行は、都合が付かず見に行け無かったが、なんとか都合を付け、今回は仕事を休んでも見に行った。前回のテスト飛行の写真を見るとグラスファイバーの胴体や翼前半部が薄青半透明だが、今回は真っ白に塗装してあり、美しく、イラストのように正に「メーヴェのようなモノ」になっていた。
さて、テスト飛行は、芝生のサッカーグラウンドで行われた。直線部は220メートルしかない。離陸前の助走や着陸後の停止のための距離を考えると、実際に飛べるのは100メートル足らずだ。
最終的には、ジェットエンジンを積み自力で離陸するのだが、まだ、ジェットエンジン無しで「グライダー」の状態での滑空試験である。
グランドの端に機体を置き、ゴムを付けて引っ張る。ゴムが延びて張力がかかれば、機体の固定を外して飛び上がる。ゴムパチンコの原理だ。
26日は、晴れ間こそ無かったが、風も無く絶好の試験飛行の天候だった。
私は「吹き流し」を持って、機体の近く、パイロットから見え易い場所に立っている役だった。
パイロットは八谷さん自身である。文字通り身体を張っての試験飛行だ。
最初、何回かは、調子が出ず、少しだけ浮く程度だった。
だんだんと、調子が出て来ると、高度も距離も出てくる。
「メーヴェのようなモノ」については、私も紙飛行機とは言え何回も飛ばし、安定性等の特性も判り、どう飛ぶか、頭の中でシミュレーションできているつもりだった。
だが、実際に目の前で飛ぶのを見るのは、想像するのとまるで違う。
やはり、人が乗って飛んでいるのを目の当りにすると感動だ。
この日は、全部で10回以上行ったが、高度4メートル程、距離90メートル以上は飛んでいた。
場所がもっと広ければ、高度も距離も、もっと飛んでいただろう。
次回以降は、場所を変え、さらに高度や距離を出すテスト飛行を行うそうだ。
その後は、ジェットエンジンを付けての飛行になる。
ジェットエンジンが付けば、日本では、MU-300 以来の民間開発のジェット機になるのだそうだ。
うーーん、八谷さん凄い!!
夜は、ロフトプラスワンで「ロケットまつり」のイベント。
テスト飛行の後片付けを終えた八谷さんも合流して、大いに盛り上がった。
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