おたくの本かい?
「おたくの本懐」と言う本を読了した。
少し古い本だが、「おたく」を解説した本。
だが、1960年生まれの「おたく第一世代」を自負する私だが、どうも納得できない。
しょっぱなから、「おたくは車マニアを除いて運転免許を持たない」と。私が車マニアかどうかは、よく判らんが、車を運転するおたく友達は山ほど居るぞ。もちろん、車を運転しないおたく友達も居るから、要は車を運転するか否かとおたくは関係がないってこと。
元々、この本は旧題「コレクターシップ」の改訂で、その名の通り、この本の主題はコレクションなのだが、そもそも私はコレクションを趣味として認めていない。
イラストにも書いたが、私は「クリエーティブでなければ、趣味でない」と思っている。
作品を作ったり、新しい理論やアイデアを出してこその趣味であり、そう言った創造的な行為を伴わないものは趣味とは認めていない。私も読書や映画、レコード・CD鑑賞は好きだが、それらは一方的に消費するだけの行為で創造的ではない。たぶん世間一般の人よりも沢山の本を読んで映画を見ているだろうが、読書や映画鑑賞を自分の趣味と思ったことも、そう言ったこともない。むしろ戯れの時間潰しだと思っているので、これらに時間を使うことを最小限に留めるようにしている。もちろん、読書等で得た知識は、その後の創造的活動に有効であることは認める。しかし、だからと言って読書自体が目的ではない。単なる手段に過ぎない。
「おたくの本懐」の主題たるコレクションに話を戻すと、コレクションとは買ってきて並べるだけの行為は、とても創造的とは言えず、私が最も避けていた事だ。
私の趣味の中で、最もコレクションに近いのはカメラだろう。私が沢山のカメラを持っている。しかし、考えてみると私のカメラは全て実用的なものだ。カメラは「写真」と言う創造的なものを撮るための道具に過ぎない。道具だから、私のカメラは実用第一で、希少価値のあるようなカメラは一つも無い。実用的なカメラとは、性能が良く、壊れても構わないものだ。もちろん道具だから、必要な時に壊れては困るのだが、希少価値があったりして壊れることを恐れて使わないようでは本末転倒だ。だから、私のカメラは全て保守部品の入手性が良く修理が容易で、必要とあれば、丸ごと買い換えることも簡単にできる大量生産品となる。カメラに限らず、車やジーンズに至るまで、プレミア品やレア物とか限定生産とかには絶対に手を出さないので、古くなって処分するとき、中古市場に豊富に同一品があるので、下取りに出しても二束三文になるのが、ちと悲しいが。
何かを集めて、分類するだけの博物学も認めていない。少なくとも博物学はサイエンスではない。生物学は、昔は単なる分類だけの博物学だった。それがダーウィンを経てサイエンスに昇華された。
もちろん、私の考えは、万人に支持されるものだはないことは判っている。先日も博物学を認めるか否かで友人と議論したところだ。
だが、私のブログやトラ技の記事を読んだり、ロフトプラスワンで話を聞いたりしている人は、私の家にある何千冊だか数えたことも無いほどの本の話や意外とたくさん見ている映画やアニメの話を聞きたい人など居ないはずだ。そう言った事を人前で吹聴することは恥ずかしいことだと思っている。
むしろ、私が体験した珍しい事象や考えついたオリジナルなアイデアを聞きたいと思っているだろう。そう言った話をできるように普段から心がけている。
学生時代から、30年以上に渡って「クリエーティブでなければ、趣味でない」の持論を追い求めたことが、今の私につながっている。
おたくとは、趣味と同じく本来創造的なはずだ。
「創造的でなければ、おたくではない」
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Comments
はじめまして、オタク第一世代のおでっさです。問題は趣味の定義だと思います。世間的には、趣味は読書だの、映画鑑賞だの、クリエイティブでないジャンルのホビーも趣味というのが普通です。僕の印象では、趣味は暇潰しに近いです。クリエイティビティを擁するホビーは、むしろライフワークに近いのでは?
Posted by: おでっさ☆UP DATE | May 26, 2011 07:58 AM
はじめまして。パナヤマです。
趣味の範囲設定、とても興味深い話でした。
自己満足をどう得るかということだと思います。
創造して満足するか、コレクト、分類して満足するか。
いろんな意見があるとは思いますが、
クリエイティブでない趣味もそのうちクリエイティブになる可能性があります。
ですので、「クリエイティブでないなら趣味というな」ではなく
「クリエイティブな趣味を目指そうぜ」というニュアンスのほうがいいと思います。
Posted by: panayama | May 26, 2011 10:17 AM
「趣味」というカテゴリーの中に自分の活動が含まれるのではなくて、自分の活動の中に趣味・ホビー・スポーツ・暇つぶし・学問研究・・・など様々な活動区分が含まれていると考えたほうが実態に近いのでは?。要するに、自分のやりたいこと、楽しむことが主体であって、その攻め口は多数あり、そのひとつが「趣味」であるということです。
私のテーマは模型飛行機ですが、「ホビー」ショップで材料を買ってきて、競技は「スポーティング」コードというタイトルの規則書で管理されていますから、少なくともホビーとスポーツは含まれます。さらには学術研究や暇つぶしもあり、コレクションや歴史考証などの要素もあります。
とはいえ、国語辞典的には「趣味」という言葉が極めて広義に使われていて、日常会話的には漠然としたあらゆる範疇の好みの活動などをさす場合が多いようです。そうであるならば、「趣味」の対談・議論を始める前に趣味の定義、たとえな「創造的である」ということを提示して、相手と合意するのが前提だと思います。
日本の場合、分析的な考え方は輸入品のようで、あいまいに包括するのが多数派のようです。その点欧米は分析的で、「楽しみ方」も峻別されているようです。たとえば、ホビーとスポーツは区別され、模型飛行機の遊び方がどちらになるか模型誌上で激論が行われたこともあります。
「ホビー」は、英和辞典ではストレートに「趣味」と訳されていますが、英英辞典や英語国の百科事典を見ると原義は「物集め(コレクション)」と「物つくり(「ホビーショップ」のホビー)」であり、それ以外の拡張は派生的な意味だそうです。従って、当ブログの「趣味」はホビーとは重なりません。
楽しみ方の分類は、ホイジンガ(「ホモ・ルーデンス」の提唱)や、カイヨワの「遊びと人間」などに詳しく有ります。ホイジンガによると、もっとも真剣に行われる人間行動は遊びであり、「遊び」がいい加減で傍系の人間活動捉えられがちな日本の考え方と対照的です。
「おたく」にしても「趣味」にしても、採算性を度外視してある目的に時間と手間を投入する活動だと思います。だから価値や情報の創造という目的に対しては空振りが多く、「創造的」という目的は主観的なものになりがちで、客観的に創造の実があがったことを示せない場合があると思います。
Posted by: 趣味際人 | June 02, 2011 05:48 PM