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November 28, 2008

サイエンス

E127先週、東工大から東大と大学を梯子した。最近、週に一度程度の割合で大学に行くことが多い。
東工大も東大も、イチョウが色付き始めた。まだ少し早く緑色が残って居る。燃えるような黄色になるのも、あと少しだろう。(この話、先週の事なので、既に東工大も東大もイチョウが見頃になっているかもしれない)
仕事柄、サイエンティスト=科学者と話す機会が多い。私自身は、ブログの題名に「マツド・サイエンティスト」などと使っているが、正確には科学者ではなく、技術者=エンジニアである。

今年は、日本人が4人もノーベル賞を取った(1人は米国籍なので、日本籍は3人)。
めでたい話で、「日本の科学研究レベルも、ここまで上がったか」かと言えば、「4人共御高齢で、受賞の対象となった研究は30年も40年も前のもの。当時の日本の研究レベルが高かっただけの話で、今はそうでは無い」と言う批判もある。
何か、どっちの意見もピントを外しているように思えるのだが、どうなんだろう?

商売柄、私が良く会う科学者は、宇宙物理とか天文学とかの人が多いのだが、そう言った人達も、少ない予算の中で、一生懸命新しい発見とか観測とか、そう言ったものを研究したり、開発したりしている。私は、そう言った発見やら観測やらを主に人工衛星を使う方法についての手助けをしている訳だ。
「少ない予算」と言ったが、30年〜40年前の日本の経済状態と比べたら、今の方が余程恵まれているんじゃないかなあ・・・ もちろん、科学に対する予算は多いに越したことは無いのだけれど。

むしろ、問題は、世間の科学に対する不理解だと思う。若者の理科離れも、この不理解が原因だと私は思っている。

科学擁護派の人から、よく「若者の理科離れは大問題だ。科学技術立国の日本の将来に由々しき事だ」と言う意見が出るが、この意見こそが「科学に対する不理解」の典型だと思う。科学と技術を混同している。技術は役に立たないと何の意味も価値も無いが、科学の価値と「役に立つか、立たないか」は全くの無関係だ。だから、「日本の将来」に役に立つか立たないかで、理科離れ・科学離れを嘆くこと自体がナンセンスだ。明治のころの富国強兵と同じになっている。
そもそも、科学に対して、役に立つ立たないを語ること自体が失礼だろう。科学の価値は、唯一、知的好奇心が満たされるか否かだ。

それでも「科学と技術は密接な関係があるだろう」と言う意見がありそうだ。もちろん、「科学と技術」は密接な関係がある事自体は否定はしない。だが、それを言ったら、科学は技術以外の、文化とか経済とか、色んな分野とだって密接な関係がある。あまり知られていないかもしれないが、バッハを代表とする「バロック音楽」の「バロック」って、惑星の公転軌道を表す「楕円」って言う意味なんだ。実際、バッハは、ガリレオ・ケプラー・ニュートンのすぐ後の世代の人だ。

これ以外にも、科学に対する不理解とか誤解の例は山ほどある。が、これ以上書いたら、くどくなるのでやめておく(既に、十分くどい?)。

とにかく、私が思っている通りに、若者が理科離れする原因が世間、特に大人の不理解や誤解にあるのなら、残念で仕方が無い。

私が話をする科学者の人達は、皆、純粋に知的な好奇心を追い求めている。彼らが、わくわくするような発見をして、それに私の手伝いが少しでも役に立てたらと、望まずにいられない。そして、彼らの中の一人でも二人でも、何十年後にノーベル賞を取れたらなあ・・・と思ってしまう、俗世間的な私である。

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Comments

 はじめまして。
 科学・技術新興の話題なので書き込みさせてください。
 科学・技術の振興ですが、「役に立つか(つまり短期的に金になるか?)」という視点でのみ語られていることに問題を感じます。
 科学・技術への関心が低くなっているのではなく、知的活動全体への関心が低くなっていること、また価値を(短期的な)金でしか計らない社会の風潮が影響していると思っています。
 文系の立場から言わせてもらえば、科学・技術への関心が低くなっていると騒ぐのは結構なんだけど、もっと根本的な知的活動への関心その物が低くなっていることが問題だと思いますね。

 また、クラークの第三法則ではないですが、今の工業製品(に限らないとは思います)が立脚している科学・技術が高度過ぎて、日常生活で理解しにくくなっていることが原因ではないでしょうか。
 さらにいえば小学校から高校までの理科教育が、理科という知識体系が、どう自分の生活に結びついているかを理解できないようなものになっていると思います。
 村上陽一郎さんが、著書で常々書かれているとおり、科学・技術に携わる人は社会への関心が必要ですし、一般人は科学・技術のリテラシーが必用だと思います。

Posted by: Technobose | November 29, 2008 at 05:30 PM

 細かい話です。

 バロックの語源は「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語のBaroccoが語源ではなかったでしたっけか。

 Wikipediaには、「中世の学者が論理体系を構築するうえで複雑で難解な論法を指すのに使ったラテン語のBaroco」という説も紹介されてますね、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF

 いずれにせよ18〜19世紀にそれ以前の装飾的な時代様式を悪し様に言った、要は悪口です。それが19世紀末から20世紀にかけて再評価が進み、積極的な良い意味が与えられるようになりました。

 私は「バロック」という言葉に「楕円」という意味があると見聞したことはありません。歪んだ真珠は楕円と言えないこともないから、派生的に「楕円」という意味が発生した可能性はあるでしょう。ただ、「バロックは、楕円と言う意味」というのは言い過ぎか、と思います。

Posted by: 松浦晋也 | December 05, 2008 at 02:07 AM

Technobose さん、よろしく。
本当に、短期的に金になるかで語られるのは嘆かわしいかぎりです。
「もっと根本的な知的活動への関心その物が低くなっていることが問題」とは確かに!
それが何よりも問題ですね。

松浦さん、
私はテレビで観ただけなので、あんまり当てにならない情報かもしれません。とは言え、「バロック 楕円」でググると、山ほどヒットするので無縁ではないとも思えます。とは言え、むしろ、バロックと楕円は、音楽ではなく建築様式で語るべきだったようです。バロック建築は教会とか宮殿の形状を楕円にしたことに由来するようですね。
まあ、本題は「科学と文化は無縁ではない」ことなんで、この話題にこれ以上突っ込むのは止めます。

Posted by: 野田篤司 | December 06, 2008 at 07:00 PM

 おはようございます。
 音楽と天文学といえば、ルネサンス期の天文学者、例えばケプラーは星の動きを音楽で表すということを考えていたそうです。
 ケプラーもニュートンも、教科書的には科学者として教えられますが、根本にはキリスト教への信仰があって神の合理性を証明する為に取り組んでいて、今の考えでは哲学者か神学者と言うべき存在で、近代的な「自然科学者」が成立するのは十九世紀半ば以降ですね。
 現在のように国が科学技術新興を図るようになったのは、第二次大戦頃のアメリカが始まりのようです。
 で、思うに何か大きな目標、例えばケプラーにとっての神、アメリカにとっての戦争への勝利みたいなものがあればいいのかもしれません。
 日本にとってふさわしいのは、やはり平和か未来を開くものだと思います。個人的には核融合や宇宙開発、宇宙理論が日本のイメージに合うように思います。

 ところで、私の妻は音楽を職業にしているのですが、初めてのデートの際、話題がなくてケプラーの音楽の話をしましたが、そういう話題の振り方が良かったみたいで、結婚できました。

 では、また。

Posted by: Technobose | December 07, 2008 at 10:51 AM

Technobose さん、
ケプラーと音楽の話で結婚されたとはおめでとうございます。私なんて、妻と一緒に宝石屋に行くと「これは炭素の結晶で、こっちは酸化アルミの結晶に不純物が入っていて色が付いているんだ」とか言って、嫌われています・・・

それは、ともかく。
確かに、科学者が現在と同じ意味を持つのは19世紀以降かもしれませんね。ケプラーとかティコの伝記を呼んでいると、確かに哲学者とか神学者の方が近い気がします。ニュートンになると少し科学者に近くなってきますが、それでも哲学に近いかも。
現在日本の科学への原動力が平和を源にした核融合や宇宙開発、宇宙理論であって欲しいのは、私も同意です。

Posted by: 野田篤司 | December 07, 2008 at 06:47 PM

小学生のときは大部分が科学好きなのが、中学生では大部分が科学嫌いになってしまうのが一番の問題じゃないですかね?

Posted by: hirota | December 17, 2008 at 11:27 AM

本当に小学生の時は、大部分が科学好きなんでしょうか?
私の娘の場合、小学生は理系文系中立でしたが、徐々に理系に傾向して、高校生の今は完全な理数系です。

Posted by: 野田篤司 | December 18, 2008 at 10:23 PM

知的好奇心という点で語ると、世間一般の関心と科学者個人の個人的関心が乖離している、というのもあるのではないでしょうか。他人のオタク的関心事に対していかに寛容か、理解しようとするか、またはそれをわかり易く伝えようとするかの啓蒙技術がいまこそもとめられているような。
まあ昔の方が地に足が着いてる、というわけではないでしょうけど。

Posted by: naijel | December 29, 2008 at 06:21 PM

naijelさん、
「他人のオタク的関心事に対していかに寛容か」と言う部分に、思わず納得しました。
科学への本当の理解って言うのは、その部分を如何に「わかり易く伝えようとするか」に尽きます。なるほど、その通りだと思います。

Posted by: 野田篤司 | December 29, 2008 at 09:56 PM

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