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April 04, 2005

システムエンジニアリング(その2)

se001
ある人に、「斬新なコンセプト」を描いたイメージを見せた時の反応が印象的だった。その「斬新なコンセプト」には、新規性のある「要素技術」は一切使っておらず、「20年以上前からある陳腐な技術」の寄せ合わせで、全く新しいコンセプトを作ったのである。

その時、その人は、こう言った。
「こんな事が判らなかったなんて、昔の人は馬鹿だったんですね。」

「当たり前の要素技術の組み合わせなら、今度のような組合せを、昔の人も当然見つけられる筈だ。それなのに、見つけられなかったのなら、昔の人は馬鹿だ。」と言う訳か。

この反応に呆れるというより、「ああ、またか」と言う感情の方が強い。ただ、元になる考え方は同じだが、反応自体は人によって微妙に異なる。

主な反応は「何か新しい(要素技術の)ブレークスルーがあったんだろう?」「設計思想とか、パラダイムシフトを起こす要因は何なんだ?」「そう言ったものが無ければ信じられない!」

反応の傾向を整理すると、大体、次のようになる。
(1)「昔の人は馬鹿だった」
(2)「何か新しい要素がある筈だ。説明しろ」
(3)「(上の2つに当てはまらないなら)信用できない」

流石に(1)を露骨に言う人も少なく、(2)と(3)で議論が進む。相手に信用されなければ仕方が無いので、(2)の理由付けになるものを探すのだが、所詮後付けの屁理屈な言い訳である。
本当に要素技術に新規性が無い時は、「そんなもの信じられない。例え本当であっても新しいものでは無いに決まっている」と投げられる。だから、必死になって「後付けの屁理屈な言い訳」を探す。

冗談ではなく、本当に上記のような事が、新規研究や開発の予算獲得の度に繰り返されるのだ。そして、やっと認められた「後付けの屁理屈な言い訳」も所詮後付け、論理性を欠いたモノ。後になって、大変な事になる場合も多い。

これらの考えの元になっている「当り前の要素技術の組合せでは、画期的なシステムを作れない」と言う思い込みを改めないと問題は解決しない。

前回の記事「システムエンジニアリング」にも書いたように

「単純なモノの組合せでも、その可能性は実質上無限にある」

なのである。

前回の記事では、その理由を囲碁や将棋の例を用いて、「千年を超る歴史を持つであろうに、名人達は常に新しい戦術を編み出し続ける。最新のコンピュータを用いても、解析はおろか、人間に勝つことすら不可能だ」と説明した。

この囲碁や将棋の例は、技術の場合に、とても良く当てはまる。

まず、第一に「単純なモノ=当たり前の要素技術の組合せでも、新規性のあるモノは常に創造可能である」ことだ。
次に、第二に「現在の名人が新しい戦術を考え出したからと言って、その戦術を思い付かなかった過去の名人達が馬鹿だとは言えない」ことだ。「当たり前の要素技術の組合せでも、新規性のあるモノで新しい組合せを作ったからと言って、過去の研究者・技術者が馬鹿だとは言えない」のである。

そして、第三に「最新のコンピュータを用いても、人間に勝つことすら不可能だ」である。この事は技術にも当てはまる。例え当たり前の要素技術の組合せでも「最新のコンピュータを用いても、人間より良い組合せを見つけることは不可能だ」。少なくとも現在のコンピュータでは無理だし、ここ数年ではあり得ないだろう。私の予想では、20年は難しいと思う。

現状では、人間こそベストの組合せを得られる唯一の存在だが、一人で考えるより二人の方が良いアイデアが浮かぶ。「三人よれば文殊の知恵」とは言ったもので、二人より三人が良い。私の経験では、5人から7人がベストで、上限は12人だ。それ以上だとまとまらない。
このメンバーが一堂に会して、ワイワイと議論しアイデアを出し合うのは生産的で楽しい。要は「ブレーンストーミング」である。

「ブレーンストーミング」をやる時、重要なのは「場所」と「ホワイトボード」だ。一同が介して、リラックスし自由に議論できる「場所」が必要だ。その場所に「ホワイトボード」を3から5枚、置いておくと議論の活性化に役に立つ。

最近では、ブレーンストーミングの席にコンピュータや液晶プロジェクターを持ち込んで、即興で解析し結果をプロジェクターに表示をしながら議論を進める「コンカレント・エンジニアリング」と言う手法もある。「ブレーンストーミング」の場合、議論は定性的に成りがちだが、コンピュータで解析すれば、定量的な議論になる。コンピュータで単独で新しい組合せを見つけることは不可能だが、解析ツールとしては有効だ。
(注意:「コンカレント・エンジニアリング」の本来の意味は「コンピュータを持ち込んだブレーンストーミング」ではなく、「統合的なシステム検討と要素技術的な検討を同時に進める」と言う設計/検討の思想・方法論である。)

さて、長々と「当たり前の要素技術の組合せでも、新規性のあるモノは常に創造可能である」ことを説明した。

しかし、「それじゃ、当たり前の要素技術の組合せじゃ、所詮、その技術の限界を超られないだろう。本当に画期的な新規システムは、いつまで経っても生まれないじゃないか!!」と言う反論が聞こえて来そうだ。

言い換えれば「スペースシャトルやH-IIAロケットと言った今ある技術を幾らいじったところで恒星間飛行はできないだろう!」と言う意見だ。

もちろん、そうだ。
しかし、闇雲に「要素技術の開発」を進めれば良いと言うものではない。やはり「システム・エンジニアリング」の考え方が必要になる。

この事については、また次の機会に書き込む。

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Comments

「当たり前の要素技術の組み合わせ」を昔の人が見つけられなかった(そして、今になって見つけられた)理由の一つとして、『当時とは異なる「新たな価値観」や「新たな見識」によって、ソリューションを求めたから』という点があるかも知れません。

つまり、今昔の切り口の違いによって、「当たり前の要素技術の組み合わせ」から「斬新なコンセプト」が新たに産み出された...こんな解釈はいかがでしょう~(^◇^;)

Posted by: ブリザド | April 05, 2005 10:03 AM

ああっ!これ判ります。ロボットの研究でもよく似たことを言われるんです。曰く「画期的な人工筋肉が必要ではないか?」「自己組織型コンピュータが必要ではないか?」とかとか(^^;)
 そんなもんなくたって、電動モータと既存のCPUだけで相当なことができるんだ、ということを、最初にホンダが実証し、最近ではRoboーOneのアマチュアの方々が示してくれつつあります。
 システム系の技術に対して無理に一点突破的なキャッチフレーズをつけると、大抵トンデモさんになるような・・・以下自粛。:-)

Posted by: 梶田秀司 | April 10, 2005 10:27 PM

ブリザド さん、
コメント有難うございます。
ただ、内容については、今後の話題の展開とかぶってしまいますので、モゴモゴモゴ・・・ということで、ご勘弁を。

梶田秀司 さん、
ご賛同有難うございます。
たぶん、宇宙開発、ロボット研究に限らず、同じようなことが、色々な研究開発で行われているのでしょうね、困ったことに。
「一点突破的なキャッチフレーズをつけると、大抵トンデモさんになるような・」には爆笑してしまいました。
無理矢理な「屁理屈」を付けた時の、最大の弊害は、「後継者」が、「屁理屈」を信じてしまうことがある事ですね。これが発展(?)すると「トンデモ」になるのでしょう。
「トンデモ研究・技術」の発祥理論として、注目すべき新説(!)だと思います。

Posted by: 野田篤司 | April 11, 2005 07:38 AM

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