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April 30, 2005

ブログ一ヶ月

ブログをスタートして約一ヶ月たった。
アクセスは予想外に多く、7700件を超えた。(今日2005年4月30日現在)
ちょっとだけ、設定やプロフィールを修正してみた。
如何であろうか?

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April 29, 2005

理想のPDA(その4)

z004前回の「理想のPDA(その3)」では、私の ToDo 管理が破綻して行くプロセスを紹介した。紹介しながら、自分自身で思ったのだが、一口に「ToDo」と言っても、色々なタイプの ToDo がある。それを一緒くたに処理して居た事が、 ToDo 管理が破綻して行く原因になったような気がする。そこで、色々なタイプの ToDo の分類をやってみた。

「ToDo の分類」と言っても、一般的なシステム手帳や PDA の「ToDo 管理」にある「カテゴリー」にあたる「仕事上のやること」とか「プライベートにやりたいこと」等と言う分類ではない。ToDo の有効期間とか発生要因と言った性格的な分類である。

1.短期的な ToDo
まず、第一番目の ToDo の分類は、「短期的な ToDo」だ。私の場合、一日毎に「やるべきこと」を書き出して居るのが、これに当たる。自己管理を書いた本によって、「一日単位で管理」とも「一週間単位で管理」とも書かれて居る。管理の単位が一日なのか一週間なのかは個人のライフスタイルによるのだと思う。私の生活習慣の場合、「一日単位で管理」の方が合って居るようだ。管理の単位が一日だろうが一週間だろうが、これらは皆「短期的な ToDo」だ。
私の経験上、やり残した「短期的な ToDo」を、次の日もしくは次の週に「短期的な ToDo」にすることは、破綻の道につながっている。たぶん、これはやっては行けないことらしい。

2.長期的な ToDo
次に、第二番目の ToDo の分類は、逆に「長期的な ToDo」である。
「長期的な ToDo」は、一日なり、一週間なりの「短期的な ToDo」の管理単位を超るモノは全て入る。具体的には、「今年中に大論文書く」とか「山登りをしたい」とか「○月△日までに×の報告書を書く」とか「今度、秋葉原に行ったら、何々の部品を買う」「XXと言う本が欲しい」などがある。これらは、全て、「長期的な ToDo」ではあるが、何となく、違うように感じる。
そこで、サブ項目を作って、分類してみる。
2.1 具体的な締め切りのある ToDo
例えば、「○月△日までに×の報告書を書く」が、これに当たる。特徴は、作業時間が、それなりに必要な事。
2.2 具体的な締め切りの無い ToDo
例えば、「大論文書く」が、これに当たる。特徴は、作業時間が、それなりに必要な事。
2.3 「やれたら良いな」「やりたいな」的な ToDo「山登りをしたい」が、これに当たる。特徴は、仮にやれなくても即座に問題が発生しないこと。作業時間が短期間である事が多い。
2.4 ドント・フォアゲット ToDo
文字通り、やるべきことを忘れないための ToDo。期日ははっきりしない。(期日のはっきりしたドント・フォアゲット ToDo は、スケジュールで管理される)
2.5 「読みたい本」「行きたい場所」 ToDo
文字通り「読みたい本」「行きたい場所」「借りたいレンタルDVD」等のリスト。なぜこんなリストを作ってしまうかと言うと、もちろん、「その本が買いたい」とか「そこに旅行に行きたい」と言う当たり前の理由もある。が、実際は本を読んだり、旅行に行ったり、DVDを借りて視る時間も金も無い。急に海外出張の予定が入り、往復の飛行機の中で暇つぶしに読む本を買うために予めリストを作っておくと便利だ。同じように、急に休みが取れた場合に、旅行に行く場所や借りたいDVDのリストがあると便利だからである。
2.6 条件付き ToDo
「秋葉原に行ったら買いたいモノ」が、これに当たる。私の場合、電子工作の部品が多い。抵抗なんか一本5円とか10円だから、抵抗だけを買いに行くなんて電車代の無駄である。だから、秋葉原に行った時についでに買うためのリストを用意してしまう。他にも「ハンズに行った時買うモノ」などがある。

3.一時的な ToDo
3.1 急に発生した ToDo
メールを見て返事しなきゃならん、とか、電話を受けて、だれかに知らせるとかだ。短期的な ToDo と似ているかもしれないが、必ずしも「短期」で処理できるとは限らない。
3.2 他の ToDo をブレークダウンして得られる ToDo
例えば、「海外に行く」と言う ToDo から、「パスポートの確認」「航空券の購入」「ホテルの予約」なんかが発生する。
3.3 他の作業中に発生した ToDo
何かを作っていて機能追加をしたくなるとか、不具合が発生して、その修正もしくはバグ取りをすると言った ToDo。

こんなものかなあ??

これらの ToDo 、どうやったら管理できるんだろう?
何か抜けているような気がする。

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April 25, 2005

Zaurusのバッテリー制御

e007
以前の記事で、私のZaurusのバッテリーが劣化して居ると書いた。流石に中国に行っている間に完全に使えなくなると困るので、出発前に新しいバッテリーを購入した。どうやら、SL-C3000 用にバッテリーが更新されたようで、コスト・寸法・質量据え置きで、充電容量が増加して居るようだ。
バッテリーを交換してから、至って調子が良い。AirChinaの飛行機の中でも安心してブログ用の絵を書くことができた。
しかし、解せないことがある。私のZaurusは2003年7月の購入だが、2005年3月、つまり約1年半で何故バッテリーが劣化してしまったことだ。
私はリチウムイオンバッテリーの専門家ではないが、一般的な常識なら知って居る。充放電回数が約500回で寿命が来ると言うことだ。
一回の充放電の深さに依存性は無い。深く使っても、浅く使っても、一回は一回だ。だから、一回充電すれば、できるだけ、バッテリーをフルに使い切った方が、バッテリーが長持ちする。
私の通常のZaurusの使い方だと、一回充電するとバッテリーを使い切るのに、三日から一週間かかる。仮に三日毎に充電しても、500回充電するには1500日、つまり、4年強はバッテリーはもつ筈だ。
それにも関わらず、私のバッテリーは約1年半で劣化してしまった。何故なのか?

理由は判って居る。無線LANだ。

私はネットワーク接続に無線LANをメインに使って居る。Zaurusに装着するCF型の無線LANカードは、電力消費が大きく、あっと言う間にバッテリーを使い切る。先程「私の通常のZaurusの使い方だと三日から一週間」もつと書いたが、それはスタンドアロンで使った時の話だ。同じバッテリーが「無線LANカードの使用中だと30分から1時間」で使い切ってしまう。

私の使用して居る無線LANカードが、特に電力消費が大きい訳ではない。どのメーカーの、どんな無線LANカードでも消費電力は似たようなものだし、有線LANによるネットワーク接続も、多少の差はあれ、スタンドアロンで使うよりは、電力消費は増加する。要は、ネットワーク接続は、スタンドアロンで使用する時よりも電力消費は大きくなるのだ。

私が、無線LAN経由でネットワーク接続するのは、戸外のホットスポットの場合はほとんどなく、主に我が家の中である。無線LAN使用中は電力消費が増加するが、AC電源が近くに有るので、ネットワーク接続する時はACアダプターを使うことが多い。
ここで問題が起きる。ACアダプターを使うと、自動的にバッテリー充電モードになってしまうのだ。

毎日メールチェックをすると、毎日バッテリーを充電するのと同じことになる。これなら、バッテリーが一年半で劣化することも納得できる。

納得できないのは、何故、ACアダプターを使うと、否応無しにバッテリー充電モードになってしまうかだ。
バッテリーが十分残って居る時は、バッテリーには充電せず、Zaurus本体と無線LANのみに給電するモードを選べるようにしてもらいたかった。

想像するに「ACアダプターを接続した後は、フル充電にしておいた方がユーザーに親切」と思ったのだろうが、はっきり言って余計なお世話だ。
むしろ、ACアダプター使用時に「充電する」「充電しない」の二つのモード切り替えを用意した場合、「使い方が分らない」とか「ACアダプターを接続したばかりなのに充電されてない」と、知識の無いユーザーからクレームが付く事を恐れて、今のような設計にしたんじゃないかと勘ぐってしまう。

だが、もしそうなら、心配は無用だ。
Linux Zaurus に「知識の無いユーザー」からのクレームは、ほとんど有り得ないだろう。
今時分、好き好んで「Linux」で「Zaurus」な「PDA」を使かって居る奴なんて、「マニア」しか残って居ないのだから。

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April 24, 2005

中国製のシステム手帳(続編)

240835282408360824083635水城さんに、システム手帳を見せたら、こう言った。
「ブログのイラストから想像していたので、もっと安っぽい作りかと思っていた。意外とちゃんとした作りだと示すには写真を載せた方が良い。」と
確かに、イラストだけからだと、どう言う作りか判らない。
水城さんのアドバイスに従って、写真をアップする事にした。
上の写真をクリックすると大きな画像になる。大きいので注意して欲しい。

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システムエンジニアリング(その4) 超人にならなくていい

se003
モノ作りで日本が得意な分野は、カメラ、ウォークマン、バイク、自動車。これらは、世界のトップクラスだ。ところが、それより大きなモノ作りは決して得意とは言えない。何故だろう。

日本がモノ作りで得意とされるものは、みんなコンパクトでイメージし易いものだ。モノ作りに参加して居る人達が、同じイメージを共有できれば、良いものが作れる。

前回は、「バランスの悪い桶」を例に「バランスの良い設計」の説明をしたが、「桶のイラスト」を一見すれば、問題が把握できる。だが、桶が見えずに「手探り状態」の場合、「バランスの良い設計」が困難になる。
「桶のイラスト」のように、「どの板を長くすると良くなる」とか「どの板は短くしても良い」とか「長さを揃えた方が良い」とか、それぞれの要素が、どのように結び付いて居るかを「問題の構造」と言う。良いモノ作りのためには、「問題の構造」を把握することが必要だ。

或る説によると、日本のモノ作りは、部品数が10万点を超ると苦手になると言う。その説が本当かどうかは知らないが、バイクの部品数が8000~1万、車が1万~4万だと聞くと、なんとなくそうかと思ってしまう。ちなみにロケットの部品数は約30万だそうだ。

とすると、「10万より少ない部品数なら、問題の構造の把握ができ、バランスの良い設計ができる」なのかもしれない。

私は、単純に部品数で決まるとは思えっていない。部品数では10万を超ても、日本の得意なモノがあるからだ。例えば、システムとしての「鉄道」である。15両の一編成だけでも、車の部品数の何倍も有るだろうし、その上、同じ線路の上を走って居る他の車両まで考えると、とてつもない部品数となる。ただし、鉄道の場合は同じような車両が何台もある。部品の数は多くても、その種類は余り多くは無いのだと思う。

必ずしも部品数が10万を超ると難しくなるかは微妙だ。しかし、この「10万」と言う数字は、一人の人間が一つ一つの部品まで把握する限界なのではないかと思う。

「10万」と言う数字だけでは、それを把握できるかどうか分らないと思うが、分かりやすい数字を例にしてみよう。
例えば、小学校や中学校で覚えた教育漢字は1006文字である。これは義務教育を受けた人なら誰でも全て覚えていることになる(筈だが、最近ワープロのせいか、危ない)。
常用漢字は1945文字。この程度は、すぐには書けなくても見れば区別が付くだろう。
逆に多い方では、広辞苑の項目数は23万語。多分知らない言葉がイッパイあるのだろう。同じ岩波書店の一般的な国語辞典は6万3千語。(別に岩波書店に義理は無いが、比較のために同じ出版社の辞典にした)
「広辞苑の言葉を全て覚えてるのは無理」だが、「国語辞典の言葉の半分くらいは既に知って居るんじゃないか?」と言う気にならないか?
「国語辞典の半分の言葉」なら、3万。ちょうど、自動車の部品数に等しい。
ロケットの部品数は、広辞苑を超る。

つまり、部品数が少なければ、一人の人間で覚え切れる範囲になり、モノ作りの対象である「モノ自体」に精通できる。その結果、「問題の構造」を把握でき、「バランスの良い設計」が可能になる。

「良いモノ作り」のためには「バランスの良い設計が必須」で、そのために「問題の構造」の把握が必要。
「問題の構造」の把握のために、「モノ自体」に精通することが大切だ。
「より良いもの」、「より高性能なもの」「より高機能なもの」「より複雑なもの」「より大規模なもの」を作るためには、精進して「モノ自体」に精通できるように努力する事が大事だ。

と、当然のように思う。
だが、ここに大きな落とし穴がある。

「何故、欧米では日本人が苦手とする巨大システムの開発が可能なのか?」
その答えがない。

「欧米人は、把握できる部品数が、日本人よりも多い」のか?
そんな事は無いだろう。人種により把握できる部品数の上限に差はあるかどうか知らないが、たぶん、有意な差は無いだろう。

では、何が、日本人と欧米人の差だろうか?

日本人の場合、さっき書いたように
『「より良いもの」、「より高性能なもの」「より高機能なもの」「より複雑なもの」「より大規模なもの」を作るためには、精進して「モノ自体」に精通できるように努力する事が大事だ。』
と、本当に精進・努力をする。
部品数が、1万、2万の内は良い。確かに精進・努力をすれば、それに応じて「より良いもの」を作ることができた。
ところが、部品数が10万を越え、一人の人間で把握できなくなると、「より良いもの」が作れなくなる。これは、精進・努力が足りないのだと反省し、さらに精進・努力を繰り返す。だが、一向に事態は好転しない・・・

では、欧米人は、どうだろう。
彼らは、あっさり精進・努力を諦めてしまう。
「諦めるなんて、情けない」等と思ってはいけない。彼らは「諦める」代りに、もっと大きな事を受け入れるのだ。
「自分が有限の能力しかない人間であること」を受け入れるのだ。

日本人は、極めて諦めが悪いというか、プライドが高いというか、「自分が有限の能力しかない人間であること」と言う当たり前のことを受け入ることができない。だから、何でも精進・努力さえすれば、物事が解決すると考えてしまう。それは或る意味、人間を超る超人になろうという無駄な努力に似ている。

だが、発想を変え、「自分が有限の能力しかない人間であること」を受け入れれば、違うアプローチが生まれる。

もう一度、良く考えてみよう。
(1) 「良いモノ作り」のためには「バランスの良い設計が必須」・・これは本当だ、たぶん。
(2) そのために「問題の構造」の把握が必要・・これも本当だ、たぶん。
(3) 「問題の構造」の把握のために、「モノ自体」に精通することが大切だ。・・これは必ずしも、そうではない!!

「問題の構造の把握」に有効な方法の一つが「モノ自体に精通すること」であることは事実だ。
だが、必ずしも「モノ自体に精通すること」が「問題の構造の把握」に有効な唯一の方法である訳ではない。

要は「問題の構造の把握」さえできれば良いのだ。必ずしも「モノ自体に精通する」必要は無い。

何らかの方法で「問題の構造」を抽象化し、それを「把握」する。それにより、「個人の有限の能力」の限界を遥かに超ることが可能となる。

貴方は、どうする?
プライドから、「自分が有限の能力しかない人間であること」を受け入れるのを拒み続けるか?
それとも、それを受け入れ、「個人の有限の能力の限界を遥かに超ること」を可能とするか?

もちろん、問題は、如何にして「問題の構造」を抽象化するかなんだが・・・

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April 19, 2005

理想のPDA(番外 中国編)

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「理想のPDA」とか銘打っておきながら、PDA のライバルのシステム手帳の話題で失礼する。
中国の北京のデパートでシステム手帳を買ってしまった。バイブルサイズで、リフィルを止める金具のリング径が 25mm 、中国語の2005年デイリーカレンダー付きで、50 元 (約 650 円)だ。
同じコーナーで fILOFAX 等が、日本の相場の 1.5 倍くらいの値段で売って居たから、目茶苦茶安い。
日本でもバイブルサイズのシステム手帳が、1000 円未満で売ってる事は、まず無いから、やはり相当安いと思う。
今まで使って居たシステム手帳は、リング径が 8mm で、リフィルが入りきらず、大きいリングのシステム手帳が欲しいと思って居たところだ。と言う訳で、即買いである。
メーカーは「上海康尼文具用品有限公司」と言う。如何にも中国製だ。「康尼」は「KENY」と発音するらしい。表は合成革なんだが、良くできて居て、「650円」と言わなきゃ、安物とばれないだろう。
早速、使ってみる。元々入って居たリフィルは外してしまった。旧暦の入ったカレンダーも付録の中国の単位系の換算表リフィルも、面白いのだが実用性は無い。そもそも、スケジュール管理は、Zaurus で行って居るので、システム手帳にカレンダーのリフィルは必要が無い。その代わりに今まで使って居たシステム手帳から、リフィルを入れ替える。バイブルサイズは全世界共通なので、この点便利だ。
実際に使ってみると、リングの開閉が固い以外は、特に不都合は無い。元々のシステム手帳はスリムタイプだったので、それに比べると携帯性は悪くなって居るが、これは「中国製」システム手帳のせいではない。
それ以上のコメントは、もっと使い込まないと、できないだろう。

同じ北京のデパートで、Linux Zaurus を見つけた。型番は「SL750C」。日本の「SL-C750」と同じなんじゃないかと思う。見た目もそっくりだし。
値段は、6980元。約9万円である。高い!! これは買えんわ。
しかし、「Linux Zaurus はアメリカから撤退」と聞いて居たが、あれはアメリカだけの話で、中国では売って居るのか。
それにしても高い。

中国で生産して居るモノは安いんだが、輸入して居るモノは高い。
当たり前か!

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April 18, 2005

故宮のスターバックス・コーヒー

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中国は北京に行って来た。
反日デモ騒動の最中だったが、私が居たところは、至って平穏だった。
先週の記事の幾つかは北京のホテルから、Zaurus でイーサネット接続の上、アップしたものだ。
(「ホームビルドカー」の絵など、Air China の飛行機の中で描いたモノだ)
さて、写真は、北京の故宮である。故宮は、北京の中央にある広大な敷地を持つ古い宮殿で、有名な天安門などは故宮の一つの門に過ぎない。
写真は、故宮の内部、天安門からずっと奥に入ったところで撮った物だ。
この写真に「スターバックス・コーヒー」が写って居ることにお気付きだろうか?
写真の真ん中の平屋建に近付いて、撮ったのが下の写真だ。
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見事に「擬態」しているが、間違いなく「スターバックス・コーヒー」である。
この「スターバックス・コーヒー」を見つけた時、一緒に旅行して居る人の意見が分れた。

「故宮のような歴史的建物に、スターバックス・コーヒーなんて興醒めだ」
「いや、これだけ見事に『擬態』しているんだから、良いじゃないか。日本だってやって居るかもしれない?」

そういや、日本でも同じような事をして居るのだろうか?
「京都の清水寺にマクドナルド」とか「奈良の東大寺にケンタッキー」とか「日光の東照宮に吉野家」等など。
(「清水寺の近く」ではなく、「敷地内」にあるかどうかが問題だ。故宮のスターバックス・コーヒーは、入場料を払って、敷地内に入った中にある。鎌倉の八幡宮の参道にあるマクドナルドは除外)

もし、日本国内で、上記のような店を見つけたら、教えて欲しい。

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April 17, 2005

遠近法が通用しない!?

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仕事柄、科学者の人と話をする機会が多い。
宇宙は誕生して、約130億年程度経っているらしい。遠くを観測する事は過去の宇宙の姿を観ることに等しい。光は一年で一光年進むので、130億光年の彼方を観ることは、130億年の過去を観ることと同じだ。
宇宙は膨張して居るので、遠くの光ほどはドップラー効果で波長が長くなる。誕生直後の宇宙は光が通らないほどの密度が高いので、現在は観測することができない。宇宙誕生から10万年ほど経ち光が直進できる程度まで密度が下がった頃の光が、現在はドップラー効果でマイクロ波として観測できる。
最初の頃の宇宙は、ほとんど水素とヘリウムでできている。その水素とヘリウムが集まって、最初の星が生まれるのだが、そのプロセスは良く分かって居ない。何故なら、最初の星や銀河が誕生した頃の光は、ドップラー効果で長い波長の赤外線になっているのだが、地球の大気は長い波長の赤外線を通さないからだ。
大気が通す波長で観測できるのは、宇宙誕生から10億年以降の宇宙だが、その頃の宇宙には、たくさん星や銀河が既に誕生した後である。
どうしても、最初の星や銀河が誕生した頃を観測したければ、地球の大気の外側に出るしかない。つまり、人工衛星で観測する訳だ。

私は人工衛星のシステムデザインが専門なので、どう言った望遠鏡が要るのか、その科学者に聞いてみた。
「できるだけ、大きな口径の望遠鏡が欲しい。」
「どう言った理由で、大きな口径の望遠鏡が欲しいのか?」
「遠くの光は、弱いので、それをたくさん集めるためだ。」
確かに分かりやすい理由だ。
だが、一般的に大口径光学系の利点は、それだけではない。カメラや天体観測が趣味の人なら判ると思うが、高い金を出してでも、大口径のレンズや反射鏡が欲しいのは、以下の2点だ。
(1) 暗いときでも明るく撮れる(暗い星でも明るく見える)
(2) 解像度が良い(倍率を高くできる)
(カメラの場合、「ボケができる」もあるが、この場合関係ない)
上記の回答は (1) と同じだ。だが (2) の理由もある筈だ。そう思って、私は促した。
「ものすごく遠くを観測するのだから、倍率を上げなければならないのでは?」
「いや、遠くに行けば行くほど小さく見えるのは、50億光年位までで、それ以上遠くなっても、物は小さく見えなくなる。」

「遠くの物が小さく見えないだって!?」

私は、絶句した。
遠近法が通用しなくなる・・・一体何故??

遠近法とは、イラストで青色の線で示したように光が真っすぐに進むために遠くの物が小さく見える現象だ。
だが、赤い線で示したように、光が曲がって進めば、必ずしも遠くの物が小さく見える訳ではなくなる。
我々の宇宙では、ごく近い範囲(と言っても50億光年だが)では、近似的に光は直進して居るように見えるが、約130億年の大きさで見ると、曲がって進んで居るのだろう。

正確に言うと光が曲がって進むのではなく、空間が曲がって居て、その曲がった空間に沿って光が(局所的に)直進するため、全体としては光が曲がったように見えるのだ。
だから、イラストの赤い線のように空間が曲がって居ると考えるのが正しいのだろう。もちろん、空間の曲がりは二次元でも無ければ、三次元でも無く、四次元的に曲がって居る。
この空間の曲がりは、宇宙全体の質量によって起こって居るのか、宇宙が膨張するせいで起きて居るのか、私の知識では良く理解できない。(たぶん、「宇宙全体の質量」でも「膨張宇宙」でも同じ事なんだと思う。一般相対論で説明付くのだろうから、式でも立てれば良いのだろうが、自信が無い)

分からないなりに、いい加減な説明用イラストを描いてみた。
e0051
このイラストは、一番下に宇宙が誕生した瞬間を、上部中央に現在を示した。時間は、過去から未来に、イラストの中では下から上に流れて居る。
青い線は、宇宙の果てであり、膨張宇宙だから、時間と共に大きくなって居る。
赤い線は、大昔、宇宙誕生のすぐ後の光が、現時点まで来る経路を示したモノだ。途中幾つかあるひしゃげた三角錐は、詳しい説明は省くが、各々の時点での空間や時間の方向性を示すモノだ。
それぞれの三角錐は、外側に向かって歪んで居る。これこそ、宇宙が膨張して居る状態だ。これらの三角錐の内側の辺に沿って、赤い線が曲がって進む。
このように、光が曲がり、遠くのモノが小さく見えなくなる。

元々、誕生して10億年の宇宙は、大きさも半径10億光年ほどしかない(インフレーション宇宙論とか、膨張宇宙論にも色々なモデルがあるため、誕生からの年数と大きさは必ずしも比例しない)が、約120億光年の彼方の全天に広がって見える。その理由も、このイラストで説明できる。

と、まあ、これで何とか説明できたと思うのだが、本当にあっているのかなと、自信は無い。
そもそも、半径10億光年の大きさしか無い宇宙の光が、地球に届くのに約120億年もかかってるのだが、それで良いのだろうか?
(説明が間違って居たらコメント下さい。正直、自信は無いので)

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April 14, 2005

理想のPDA(その3)

z002
以前の記事で、「私は ToDo 管理で破綻する」と書いたが、具体的にどんな状況になるのかを書いてみよう。

システム手帳や自己管理に関する本を読んだところ、共通して書いてあるのが、「やるべきことを書き並べ、一覧できることが重要」とある。
そこで、その日、一日だけの「やるべきこと管理」から、始めることにする。まず、「今日、やるべきこと」を書き出す。例えば、「誰某に電話する」とか「何とかの報告書を仕上げる」とかだ。システム手帳の ToDo 管理用リフィルを使っても良いし、PDA の ToDo 管理プログラムでも良い。両方無くても、普通の紙に書いただけでも十分役に立つ。できあがった「やるべき事リスト」の量は、もちろん、人にもよるし、日にもよるが、私の場合、10項目から20項目程度になる。
そのリフィルなり、PDA の「やるべき事リスト」を見ながら実行し、片付けた順にチェックし、消して行く。

この方法は、非常に上手く行き、有効だ。少なくとも、始めた当日と、一週間くらいの間は。

ところが、片付けられなかった「やるべき事」の項目が、次の日に持ち越され、日に日に溜まったあげく、パンクしてしまうのだ。

「やるべき事を、その日の内にやらなかった貴方が悪い」と言われそうだ。
確かに、それは正論である。
だが、そもそも、「やるべき事」を何とかのしようとシステム手帳なり PDA を使おうとしているのだから、そう言った正論である片付けられては、先に進めない。
そこで、もう少し、自分の行動を分析し、どう言ったプロセスで、片付けられなかった「やるべき事」が溜まって行くのか、見てみよう。

まず、「やるべき事リスト」を見ながら、適当に一つずつ「やるべき事」を実行する。この時、その日の内に片付けないと本当にまずい「緊急性の高い事」は実行する。その他では、「やり易い事」や「やって楽しい事」を実行してしまう。

残るのは「やるのは面倒で気が乗らないが、取り敢えず今日やらなくても困らない事」が、残ってしまう。例えば、「歯が痛いけど、我慢できない訳ではないが、一度、歯医者に診てもらう事」とか「気難しい人に挨拶のメールを出す事」などがある。これらは、「今日やらなくても明日やればいいや」と思って居る内に、ずるずると引延されて行く。
また、「作るのに一週間くらいかかる文書の作成に、締め切り一週間前の今日から取り掛かろう」等も、これに当たる。「一日くらい、文書の取り掛かりを送らしても問題無いだろう」と、文書作成の開始を遅らせる。実際、一日、開始を遅らせ、六日で文書を作ることになっても、そんなに大きな問題とはならない。
それが、一日延ばしが、二日、三日となり、いよいよ明日が締め切りとなって、あわてて取り掛かるのである。どうにか締め切りに間に合わせるのだが、本来、一週間かかる文書を二日で書くのだから、当然クオリティは落ちる。

片付かない「やるべき事」には、やるきで始めたのだが、終わらなかった事もある。例えば電話したら、相手が海外出張で、一週間連絡が取れない場合もある。
私の場合、モノ作りやプログラミングが多いのだが、作ってみると、もっと細かい作業でやるべき事があることに気付いたり、新たに必要な部品や機能が欲しくなったりする。また、不具合やバグが出ると、その修正作業が発生する。
これらの新たな作業が、その日で処理できれば良いが、そうでなければ、片付かない「やるべき事」の仲間入りだ。

短期的な片付かない「やるべき事」ばかりではない。
「ToDo 管理」を始めた当初は、上手くいって居るので、欲が出て、長期的な「やるべき事」とか「やりたい事」を書き始める。「今年中に大論文書く」とか「山登りをしたい」とか。具体的な計画が無いので、片付かない「やるべき事」になってしまう事が多い。
また、「今度、秋葉原に行ったら、何々の部品を買う」と言った項目もできる。これも、その日に買いに行けないので片付かない「やるべき事」になる。

こうして溜まった、片付かない「やるべき事」は、明日の「やるべき事リスト」に加わる。明日もやらなきゃ、その次で、雪だるま式に増える。システム手帳の場合、紙のリフィルだから、手で書き写すのが大変だ。
PDA にすれば、自動的にコピーするから、楽になると思ったが、「やるべき事リスト」の増える速度が増すだけだ。

その内、訳の判らない項目が増殖し始める。そもそも、その日に片付けようと「誰々に電話」と言った簡単な書き方をして居るので、何のための電話か判らなくなる。こう言った項目は恐くて消せない。

かくして、片付かない「やるべき事」は増え続け、百・二百となる。もう見るのも嫌だ。
今日の「やるべき事リスト」も止めてしまう。「やるべき事リスト」を作る時、どうしても片付かない「やるべき事」をチェックする必要があり、気が重くなって、何もする気が起きなくなるからだ。

分類や優先度付けをすると良いらしいが、上手く言った試しが無い。

「計画性が無いからだ」「怠け者の面倒臭がり屋だからだ」と言われそうだ。

確かに、その通りだ。正論だ。
しかし、正論だけ言っても、じゃあ、どうやったら「計画的に行動できるか」「怠け者の面倒臭がり屋でなくなるか」の答えになって居ない。

まだまだ、考察することがありそうだ。

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April 13, 2005

ホームビルドカー

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個人的に自作した中で、最大なのはスピーカーだと書いたが、ぜひ自作したいと思って居る中で、最大と言うか、最も困難だと思われるのが「自動車」つまり「ホームビルドカー」である。

どんな車を作りたいかと言うと、こんな感じだ。

シャーシは、鋼管スペースフレーム。溶接さえできれば、他に大掛かりな設備はいらない。設備投資の割に高性能なシャーシが作れる、それがスペースフレームだ。
エンジンは、一昔前なら「1600cc の4バルブ DOHC」と言ったところだが、技術進歩した現在なら、ビッツやフィットの 1000 ~ 1300cc のエンジンで十分だろう。
このような FF 横置き用のエンジンを、そのままミッドシップに配置する。
サスペンションは、リアはストラットかダブルウィッシュボーン。フロントはダブルウィッシュボーン。居住性や荷物の搭載性を犠牲にしてもアーム長を可能な限り長くする。

剛性はシャーシが受け持つので、ボディは、そんなに強くなくても良い。FRP もしくは、成型や塗装に問題が無ければ、ポリカーボネートで作る。

スタイルは、屋根の無いオープンカーだ。屋根も無ければ、ドアも幌も無い。
ドアが無いのは、開閉部分が重くなるだけでなく、オープンスタイルのスペースフレーム・シャーシの場合、曲げモーメントに対抗するためドアの部分のえぐり込みを少なくしたいからだ。
これで、ドアになるべき部分に燃料タンクを入れたら、GT40と同じような構成になってしまう。もっとも、ルマンで 24 時間耐久やるつもりは無いから、そんなに大きなタンクは要らないが。
幌も重くなるので、用意しない。オープンカーは、雨が降ったら、乗らなければ良い。万一、雨が降ったら、カッパ着て乗る。ずぶ濡れになっても良いようにシートは防水性の素材で作る。ダッシュボードの計器類も同様。

これだけ、シンプルにしたら、800kg以下の軽量にしたい。
そうすれば、ワインディングロードが面白そうである。

「屋根もドアも幌もなきゃ、実用性が無いじゃないか!?」
その通り。実用的な車なら、市販車買った方が良い。ホームビルドカーは、市販車に無い面白さ・ユニークさを出さないと成立しないだろう。

と、まあ、こんなホームビルドカーを作りたいと思って居るのだが、「そんなラジコンカーのような車が、実際に作れるもんか」と言われそうだ。

いや、技術的には作れるのだ。
実際、イギリスでは、こんな風に作った車が一般道を走って居るし、ロータスもTVRも、こんな車を作って居た人が、いつの間にかメジャーになったようなもんだ。

問題は、イギリスならいざ知らず、日本じゃ、こんな車にナンバーが絶対に与えられない事だ。
これは法律の問題だから、日本に住んで居る以上、どうしようもない。

ホームビルドカーを作ろうと思ったら、日本脱出しかない。
まず、夢のまた夢の話だ。

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April 12, 2005

システムエンジニアリング(その3)

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イラストは、良く「バランスの取れた設計」の説明に用いられる例である。
水を入れる「桶」だが、板の長さがバラバラだ。この桶に溜まる水の量は、最も短い板の長さによって決まる。中の水位が、最も短い板の長さを超えたら水は溜まらなくなるからだ。

この桶を改善し、溜まる水の量を増やす方法は、簡単だ。最も短い板を長くすれば良い。
「バランスの良い設計」にすることも簡単だ。すべての板の長さを同じに切り揃えれば良い。(別に長すぎる板を切らなくても良いのでは?・と言う意見もあるかもしれない。だが、長すぎる板は重くなるし、持ち運びなどで邪魔になるから、同じ長さに切り揃えるのが最も効率的でバランスが良い)

実際の設計では、「改善する方法」も「バランスが良い設計にする方法」も、この例ほど簡単ではない。
一言で「バランスの良い設計」と言うが、どういう状態が「バランスの良いかどうか」分からない場合が大半だ。

イラストを見れば、一目で、「どうすれば改善できるか」「どういう状態がバランスの良い設計か」分かる。
仮に、この絵のような状態であることが見えないとしよう。その場合、手探りで、状態を調べるしか方法は無い。

そこで、次のような実験を行ってみる。
まず、取り敢えず、あふれるまで水を入れて、量を測る。次に、水を入れて抜き、桶を分解した後、Aの板の長さを少し変えて、再び、組み立てる。同じようにあふれるまで水を入れて、量を測ると、水の量に変化は無い。
次に、Bの板の長さを、少し変えて、同じことを試す。今度は、Bの板の長さを変えた分だけ、水の量が変化はすることが分かる。
C、D、Eの板にも、同様のことを繰り返し、これらの板の長さを変えても、水の量は変化しないことが分かった。

以上の事から、次のことが導かれる。
「桶に溜まる水の量は、Bの板の長さのみに依存し、ほぼ、Bの板の長さに比例する。A及びC~Eの板の長さは、桶に溜まる水の量に影響しない。」

この結果、「桶の改善」イコール「Bの板を長くする」に置き換えられる。
Bをドンドン長くして、他の板より長くなっても、気が付かない。先のような実験を行うことが面倒だからだ。
Bの板を、いくら長くしても水の量が増えなくなっても、目標が「Bの板を長くする」にすり替えられて居るから、構わずドンドン長くする。Bの板が邪魔になり、重くなって桶自体が持てなくなって、初めて間違って居たことに気が付く。

笑い話では無く、このような事が本当に繰り返される。例えば、40年くらい前の国産車は、明らかにエンジンの馬力が足りなかった。箱根の坂道さえろくに登らない。「馬力さえ上げれば、良い車になる」と国産メーカーはエンジンの馬力アップ競争になった。コンベンショナルなエンジンで、ほどほどの馬力がでるようになると、やれターボだのDOHCだのスーパーチャージャーだのインタークーラーだの付け加え始めた。サスペンションやタイヤの性能を超え、危険なほどエンジンの馬力が上がると、もはや「良い車」ではない。これが15年くらい前まで続いた。

前回の「システムエンジニアリング(その2)」から読んで居る人は、「Bの板の長さのみ注目」が「要素技術偏重」で、「桶の水の量に注目」が「システムエンジニアリング」に当たることが分かると思う。

システムエンジニアリング(その2)では、「当たり前の要素技術の組み合わせで、新しいシステム」と言ったが、全く新しい試み(例えば「恒星間飛行」)のシステム設計の場合、取り敢えず「バランスの悪い桶」でも良いから、作って評価することが大切だ。実際には作れないなら、計算上でもバーチャル上で代用する。

その結果、「Bの板を既存の技術では足りないくらい長くする」事が必須であることを見つけてから、「Bの板を長くする研究」を始めるのである。また、時々再評価し、「Bの板が他の板を超えた」場合は「Bの板を長くする研究」より、「他の板を長くする研究」に比重を置き換える必要がある。
また、「Bの板を長くする」事は改善案として出やすいが、「A及びC~Eの板の長さを短くする」と言う改善案は、なかなか実行されない。それなりに上手くいって居るものに、手を加えるのは恐いからだ。

「システムを良くするために、必要な要素技術を選び、研究する」のであって、「要素技術の改善が、システムを良くする」のではない。
ましてや、「要素技術の改善こそが全て」のではない。

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April 08, 2005

自作スピーカー

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自作したモノは数多くあるが、今まで個人的に作った中で最大なのはスピーカーである。
(ただし、質量で評価した場合。寸法なら、翼長2メートルを超すラジコン・グライダーだし、コストでは基板パターンまで自作したコンピュータだ)

そのスピーカーは、独身時代だから、17・8年ほど前に作ったもので、ダイアトーンの P-610 と言う伝説(?)のユニットを主体に作ったものだ。P-610 は、16センチ径のフルレンジで、いわゆる「ロクハン」と呼ばれるモノである。
このユニットは、古い設計なので、73リッターという大きな箱のバスレフに入れている。箱の大きさ、バスレフのダクトの大きさ・長など、全て自分で計算し、試聴しながら調整した。

このスピーカー、素直な音に仕上がったが、当然、フルレンジだから、超低音と高音は弱い。高音側が物足りないので、リボンツィータFT7RPを足し、ゆるいクロスオーバーで低中音と高音を繋ぐ設計にした。低音側はバスレフが効いているのか、それほどの不満は無い。もちろん、現在流行りのサブウーハーに較べると、全く足りないが。

できあがったスピーカーは大変気に入っていた。常に部屋の一番良い所を占めていたのだが、結婚し、子供ができて状況は一変した。
何せ、70リッターを超る箱が、2つ(ステレオ用だから当然2つ)もリビングの一番良い場所にあるのだから、邪魔である。
音楽を聴くならミニコンポでも買った方が良いと言うことになり、我がスピーカーの運命は風前の灯火となった。

いよいよ、某有名オーディオメーカーのミニコンポを購入し、リビングに設置した。

妻と、真新しいミニコンポと我が自作スピーカーとを聞き比べた。この勝負に負けたら、我がスピーカーは「粗大ゴミ」だ。

意外な事に、我がスピーカーは、勝利したのである。
フルレンジの実力を知る者なら判ると思うが、大きな箱に入れたフルレンジは、想像を超える素直な音がする。アコースティック系の音楽なら、無理やり小型化したスピーカーに負けない。
聞き比べた曲が、妻の好きなクラシック音楽だったのが良かった。
歌謡曲やハードロックだったら、危なかったかもしれない。

我がスピーカーは、廃棄を免れた。リビングの一等地を明け渡しはしたものの、今でも、私の部屋にある。
ちなみに、P-610 は、既に生産中止された。生産中止が決まった時に、メンテナンス用にもう1組(2個) P-610 を買って置いた。この P-610 は長いこと我が家の押し入れにあったが、野尻さんが星雲賞を受賞した時にお祝い代りに進呈した。そっちの方も、まだ、野尻さんの家にあるかもしれない。

スピーカーの自作は、とても楽しかったし、17・8年ほど経った今でも使えるほど、実用的だ。
機会があったら、是非また作ってみたいと思って居る。今度作りたいのが、バックロードホーンと言うタイプだ。バスレフよりも遥かに設計が難しいのだが、コンピュータの力を借りれば、私のような素人でも設計できるかも・・なんて考えて居る。

ただ、最大の問題は、住居だ。既に手狭になって居る我が家に新しいスピーカーを置く余地は無い。

が、それ以上に問題なのは音である。バックロードホーンは、その特性上、大きな音を出してこそ、本領が発揮できる。とてもじゃ無いが、現在の住宅状況じゃ、近所迷惑で、バックロードホーンの本領が発揮できるような音は出すことなど、とてもできない。

バックロードホーン・スピーカーを作る前に、山中の一軒家の別荘でも手に入れないと、不可能だねぇ。

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April 07, 2005

世界は広いが、宇宙は狭い

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アクセス数が 1000 ヒットを超えた。4月6日のことである。このブログ、始めたのが3月26日だから、12日目である。
当初の予測では、日に20から30のアクセスで、1000 ヒットを超えるのは、1カ月から2カ月程度かかると見込んで居たのだが、大幅に早まってしまった。
どうやら、その理由は「松浦晋也のL/D」で紹介されたからのようだ。

元々、「松浦晋也のL/D」や「野尻ボード」等の有名どころで、紹介すればアクセス数が増えるのは判って居たのだが、こう言ったブログがどう言うプロセスでアクセス数を増やすのかを観測するのが楽しみだったので、黙って居た。だから、いまだに本来のホームページからのリンクも張って居ない。

松浦さんには、以前からブログを始めたことを話して居たが、前述の理由で「口止め」して居た。
ところが、「向井さんのSF系日記更新Rに捕捉されていたので、もうオープンにする」と連絡があり、「松浦晋也のL/D」に紹介されてしまったら、あれよあれよと言う間にアクセス数が 1000 ヒットを超えてしまった。
もう少し、コンテンツを増やしてから、オープンにするつもりだったんだが、過ぎてしまったことをあれこれ言ってもしょうがない。

アクセスの推移を見ると、(推測だが)向井さんと言う方が「野尻ボード」から「歌島さんのブログ」に行き、そこで私のブログへのリンクを見付けて「SF系日記更新R」に書き込んだようだ。そして「松浦晋也のL/D」、その後は色々な「宇宙系」「SF系」のページに補足されたらしい。
5日には、500 ヒットを超えたが、6日は落ち着いたのか、戻して 300 台である。今後、どの程度のヒット数を維持できるか楽しみである。ちなみに松浦さんに聞いたら「松浦晋也のL/D」は、一日 700 から 1000 ヒットだということだ。

ところで、最初に私のブログを捕捉した「向井さんのSF系日記更新R」の「向井さん」とは誰なのか、海外SF評論家の林さんに聞いてみた。(何故、こんな人が身近に居るのかも謎である)
「SF系の人で、宇宙科学研究所(ISAS)の向井先生の息子さんですよ」

ええええ・・・・っ!?
ISASの向井先生と言えば、ついこの間、一緒にアメリカ行ってゴダード宇宙センターとかMITを見たところですよ。
その上、4月1日からは、私の上司の・・モゴモゴモゴ

うーーん、それにしても世間は狭い。
と言うか、「世界は広いが、宇宙(業界)は狭い」なあ。

ところで、「向井さんのSF系日記更新R」では、このブログ、「日記」として分類されて居るが、ちっとも「日記」らしくないよねえ。

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April 06, 2005

理想のPDA(その2)

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南の島で目覚めた私は、呆然とした。
「今日、俺は何をしたらいいんだ!?」

20年前、大学院を出立ての頃の話である。
就職してから一カ月間の研修期間を経て、南の島に配属された。赴任してから、二週間ほどは見るもの聞くものが珍しかったのだが、それにも慣れてくると喪失感に襲われた。
「自分が何をしたら良いか分からない」
小学校から大学2年くらいまでは、時間割通りに行動すれば良かった。大学の研究室時代も指導の先生に従っていた。一カ月間の研修期間も東京の本社で、新人研修のカリキュラムに沿っていれば良かった。
それが、職場に配置され、実際に仕事をする段になって、「自分が何をしたら良いか分からない」状態になってしまった。
「何をすれば良いんだ、誰が何をすれば良いか教えてくれるのか?」

それまで、親なり先生なりの言う通りにして来たのが、自分で決めなきゃいけなくなって、そのギャップに苦しんだわけだ。
まあ、言ってしまえば、学生気分の抜けない甘チャンの戯言だな。いわゆる五月病も、こう言った状態なんじゃないかと思う。

今となっては上の疑問に対する答えは明らかで、

「自分のやることは、自分で決めるしかない」

のである。

自分の若かりし日の甘チャンぶりを弁護するつもりは無いが、PDA なり システム手帳 なり、いわゆる「自己管理」の基本になる原点が、上のような「今日、俺は何をしたらいいんだ!?」と言う感情では無いかと思う。理想のPDAを考える前に、原点の戻る必要があると感じたので、20年前の自分を例に持ち出した。

「今日、俺は何をしたらいいんだ」と感じた後、PC-9801をローンで買った。何をすべきか教えてくれるような機能なりソフトなりがあるかと淡い期待をしたのだが、そんなモノは無かった。
その後、システム手帳は、A5 サイズ、六穴ミニサイズ、バイブルサイズと買い替えた。システム手帳関連の書籍でも「Aタイム」や「7つの習慣」を初め、たくさん読んで見た。PDA も、Palm や Zaurus と買い替えた。最初は良いと思ったシステム手帳も PDA も、やはり理想的ではない。結局、20年前の自分から、そんなに進歩している訳じゃなくて、常にジタバタともがいているだけなんだろう。
PC-9801を買った理由も、今となっては「阿呆らしい」の一言だが、いまだに人気の衰えない(と言うか人気が復活した)システム手帳も、PDAも、パソコンも、購入者の多くが同じような期待を持っているんじゃないかと思う。

ただ、色々読んで、おぼろげに「自己管理」が見えてきた。その視点で、システム手帳なり PDA の機能を見直してみる。

システム手帳なり PDA で、「今日、俺は何をしたらいいんだ」に応える機能は、「スケジュール機能」と「ToDo機能」である。

まず、「スケジュール機能」であるが、要は「何月何日何時に何をやる」と「予定」を書き込むだけのモノである。主に「会議の予定」とか「出張の予定」「人に会う予定」等が、書き込む対象になる。
私の場合、卓上のミニカレンダーにスケジュールを書き込む事から始めた。その後、800円位で売っている手帳やシステム手帳を経て、現在では Zaurus 上で datebook2-xml と言うフリーソフトを使っている。
この予定を管理する「スケジュール機能」に文句は無い。と言っても、「スケジュール機能」については、800円位で売っている手帳で管理していても全く問題は無いので、何万円もする Zaurus を買う意味は無い。

問題は、次の「ToDo機能」だ。私の場合、システム手帳であれ、PDA であれ、この「ToDo機能」でつまずいている。ToDoを使い始めた最初こそ、うまく行くのだが、その内、「処理し切れないでたまったToDo」に埋もれてしまうのだ。

この辺にこそ、「理想の PDA」への鍵が隠されているかもしれない。
つづく・・・(たぶん)

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April 05, 2005

ゾルキー

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写真のカメラは、古いライカではない。ゾルキーと言う旧ソ連で作られたライカのコピーカメラで、オリジナルのライカと同じくらい古く、60年くらい前に作られたものだと思う。ちょっと見たところ、バルナック・ライカにそっくりだが、中身までかなり似ている、現在なら偽ブランド品で警察に没収されそうなカメラである。
ただし、似て居るだけで、工作精度はライカに及ぶべくも無い。

私は、元々、バルナック・ライカのスタイルが好きで、壊れたバルナック・ライカの中身をデジカメと置き換えたら素敵なデジカメになるなあと思って居た。
だが、流石に壊れて居ても、ライカをデジカメに改造するのは、気が引ける。そこで、当時、世界中で作られたコピーライカ/偽ライカを手に入れて、それをデジカメに改造しようと思った。もちろん、偽ライカと言えど、ちゃんと写真が撮れるカメラを壊すのは忍ない。
そこで、修理不可能なほど壊れて居るジャンク品を入手しようとした。ところが、中古カメラを扱って居る店を回っても、この時代のジャンクカメラを置いて居る店が無い。ジャンクとしておいてあるのは1960年代以降の日本製カメラがほとんどである。

どの店でも、こう言った古いカメラは、ちゃんとオーバーホールして、使える状態にして売って居るようだ。

長いこと、ジャンクの偽ライカを探して居たら、古いカメラが趣味の友人が見つけてくれた(多分、顔なじみの店があるのだろう)。
それが、写真のゾルキーである。

入手した時の状態は、外観は汚れ、ファインダーは曇り、距離計は二重像がずれて合わない状態だった。ただし、巻上げやシャッターはフイルムが空の状態では大丈夫そうであった。

試しに、フイルムを入れて、写したところ、ボケボケで、写真と言えるものでは無かった。

そこで、分解してみた。ファインダーと距離計のレンズを外し清掃。距離計は調整ネジを見つけて、レンズの無限遠で、遠方風景で二重像が重なるように調整した。
軍艦部(カメラ上部のファインダーやシャッターボタンなどの付いて居る部分)も分解ついでに、組み上がったら清掃できない箇所を清掃した。
シャッターや巻き上げ機構は問題無さそうなので分解はせず、ゴミ清掃と、僅かに油をさしただけに止めた。

再組立してみると、見違えたように奇麗になった。(胴の「革」の部分はボロボロだけど)

さて、再び、フイルムを入れて写してみると、何とちゃんと撮れるじゃないですか??
この種の古いカメラに心配されるシャッター幕のピンホールも無いようだ。絞りとシャッター速度もそれなりに合って居るようだ(細かい計測をした訳じゃ無いが)。
フイルムの巻き上げに失敗した箇所が一コマあったので、巻き上げ機構にやや不安が残るものの、ほぼ完動品である(巻上げには関しては、慣れて居ないのに、テレフォンカードで無理にフイルムを入れたせいかもしれない。最初のフイルムは、端をハサミで切って入れたところ、巻き上げの失敗は無かった)

肝心の写りの方だが、これが意外と良い。流石に逆光では、目茶苦茶になるものの、順光では奇麗に色が出て居る。やや、赤が強い傾向があるものの、十分に良く撮れて居る。(後で調べたら、このレンズ、ロシア製レンズとしては名の知れた名レンズだったらしい)

と言う訳で、「ジャンクカメラ」が欲しかった筈なのに、完動品(巻上げには不安が残るが)になってしまった。
ちゃんと動いて、写真の撮れるカメラを壊して、デジカメにする気には、どうしてもなれない。

誰か、「絶対に修理できない程のジャンクカメラ(コピーライカ希望。外観さえ見れれば、中身は無くてもどんな状態でも可)」を譲ってくれないだろうか??

ところで、当のゾルキーは、どうなったかと言うと、まだ手元にある。
写真がまともに撮れるまでは、喜んで遊んで居たんだが、写真が撮れるようになったら遊ばなくなってしまった。あんまり奇麗に撮れるので、現在のカメラで撮るのと変わらないんだもの。

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April 04, 2005

システムエンジニアリング(その2)

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ある人に、「斬新なコンセプト」を描いたイメージを見せた時の反応が印象的だった。その「斬新なコンセプト」には、新規性のある「要素技術」は一切使っておらず、「20年以上前からある陳腐な技術」の寄せ合わせで、全く新しいコンセプトを作ったのである。

その時、その人は、こう言った。
「こんな事が判らなかったなんて、昔の人は馬鹿だったんですね。」

「当たり前の要素技術の組み合わせなら、今度のような組合せを、昔の人も当然見つけられる筈だ。それなのに、見つけられなかったのなら、昔の人は馬鹿だ。」と言う訳か。

この反応に呆れるというより、「ああ、またか」と言う感情の方が強い。ただ、元になる考え方は同じだが、反応自体は人によって微妙に異なる。

主な反応は「何か新しい(要素技術の)ブレークスルーがあったんだろう?」「設計思想とか、パラダイムシフトを起こす要因は何なんだ?」「そう言ったものが無ければ信じられない!」

反応の傾向を整理すると、大体、次のようになる。
(1)「昔の人は馬鹿だった」
(2)「何か新しい要素がある筈だ。説明しろ」
(3)「(上の2つに当てはまらないなら)信用できない」

流石に(1)を露骨に言う人も少なく、(2)と(3)で議論が進む。相手に信用されなければ仕方が無いので、(2)の理由付けになるものを探すのだが、所詮後付けの屁理屈な言い訳である。
本当に要素技術に新規性が無い時は、「そんなもの信じられない。例え本当であっても新しいものでは無いに決まっている」と投げられる。だから、必死になって「後付けの屁理屈な言い訳」を探す。

冗談ではなく、本当に上記のような事が、新規研究や開発の予算獲得の度に繰り返されるのだ。そして、やっと認められた「後付けの屁理屈な言い訳」も所詮後付け、論理性を欠いたモノ。後になって、大変な事になる場合も多い。

これらの考えの元になっている「当り前の要素技術の組合せでは、画期的なシステムを作れない」と言う思い込みを改めないと問題は解決しない。

前回の記事「システムエンジニアリング」にも書いたように

「単純なモノの組合せでも、その可能性は実質上無限にある」

なのである。

前回の記事では、その理由を囲碁や将棋の例を用いて、「千年を超る歴史を持つであろうに、名人達は常に新しい戦術を編み出し続ける。最新のコンピュータを用いても、解析はおろか、人間に勝つことすら不可能だ」と説明した。

この囲碁や将棋の例は、技術の場合に、とても良く当てはまる。

まず、第一に「単純なモノ=当たり前の要素技術の組合せでも、新規性のあるモノは常に創造可能である」ことだ。
次に、第二に「現在の名人が新しい戦術を考え出したからと言って、その戦術を思い付かなかった過去の名人達が馬鹿だとは言えない」ことだ。「当たり前の要素技術の組合せでも、新規性のあるモノで新しい組合せを作ったからと言って、過去の研究者・技術者が馬鹿だとは言えない」のである。

そして、第三に「最新のコンピュータを用いても、人間に勝つことすら不可能だ」である。この事は技術にも当てはまる。例え当たり前の要素技術の組合せでも「最新のコンピュータを用いても、人間より良い組合せを見つけることは不可能だ」。少なくとも現在のコンピュータでは無理だし、ここ数年ではあり得ないだろう。私の予想では、20年は難しいと思う。

現状では、人間こそベストの組合せを得られる唯一の存在だが、一人で考えるより二人の方が良いアイデアが浮かぶ。「三人よれば文殊の知恵」とは言ったもので、二人より三人が良い。私の経験では、5人から7人がベストで、上限は12人だ。それ以上だとまとまらない。
このメンバーが一堂に会して、ワイワイと議論しアイデアを出し合うのは生産的で楽しい。要は「ブレーンストーミング」である。

「ブレーンストーミング」をやる時、重要なのは「場所」と「ホワイトボード」だ。一同が介して、リラックスし自由に議論できる「場所」が必要だ。その場所に「ホワイトボード」を3から5枚、置いておくと議論の活性化に役に立つ。

最近では、ブレーンストーミングの席にコンピュータや液晶プロジェクターを持ち込んで、即興で解析し結果をプロジェクターに表示をしながら議論を進める「コンカレント・エンジニアリング」と言う手法もある。「ブレーンストーミング」の場合、議論は定性的に成りがちだが、コンピュータで解析すれば、定量的な議論になる。コンピュータで単独で新しい組合せを見つけることは不可能だが、解析ツールとしては有効だ。
(注意:「コンカレント・エンジニアリング」の本来の意味は「コンピュータを持ち込んだブレーンストーミング」ではなく、「統合的なシステム検討と要素技術的な検討を同時に進める」と言う設計/検討の思想・方法論である。)

さて、長々と「当たり前の要素技術の組合せでも、新規性のあるモノは常に創造可能である」ことを説明した。

しかし、「それじゃ、当たり前の要素技術の組合せじゃ、所詮、その技術の限界を超られないだろう。本当に画期的な新規システムは、いつまで経っても生まれないじゃないか!!」と言う反論が聞こえて来そうだ。

言い換えれば「スペースシャトルやH-IIAロケットと言った今ある技術を幾らいじったところで恒星間飛行はできないだろう!」と言う意見だ。

もちろん、そうだ。
しかし、闇雲に「要素技術の開発」を進めれば良いと言うものではない。やはり「システム・エンジニアリング」の考え方が必要になる。

この事については、また次の機会に書き込む。

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April 01, 2005

篆刻、落款、判子、印章

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ブログに入っているイラストは、Zaurus 上で描いたモノだが、その右下隅か左下隅に入っている落款(らっかん:ハンコを押した印)は、自分で作ったものである。
以前(現在もだが)、公開していたフリーウエアの「About ダイアログ」にも同じような落款が入っているが、あれは友人が作った TrueType で描いたもので現実世界には存在しない。

いま、イラストで使っている落款は、実際に私自身が、彫ったものをスキャナーで読み込んだものだ。イラストのような木製の万力に判子(はんこ)の材料となる石材を挟み固定し、小さいノミと言うか彫刻刀のような刃物で彫る。材料や道具は横浜の中華街で易く買ったものだ。
作った判子は、蔵書等について楽しんでいる。

ところで、判子を彫ることを、「篆刻(てんこく)」とも言うのだが、「篆刻」とは、本来、書体つまりフォントの名前である。「明朝体」とか「ゴシック体」と同じように「篆刻体」と言ったように使う。
蔵書印などは偽造ができないようにと、難しい形状の「篆刻体」を使った判子を使う場合が多いせいか、判子を彫ることを一般的に「篆刻」と呼ぶようになった。しかし、判子の書体は「明朝体」でも「ゴシック体」でも良い訳だから、「判子を彫ること」を全て「篆刻」と言うのは変である。

私の判子は、一応書物で調べて、「篆刻体」を使ったつもりだ。彫る技術が良くないので、「篆刻らしき書体」くらいか?

と、ここまで、「落款」とか「篆刻」とか、一般には余り使われない言葉を使ってた。私も自分で判子を彫るまで、その区別を良く知らなかったのだが、これらの言葉を間違って使っている人が多い。

例えば、判子自体(石とか象牙とか芋を彫った判子そのもの)のことを「篆刻」とか「落款」とか言う人がいる。
また、落款のことを「篆刻」と言ったりする人もいる。

難しい言葉を無理に使おうとして、間違うくらいなら、誰もが知っている言葉の方が良い。
「判子を彫る」事なら、「篆刻」と言わずにストレートに「判子を彫る」と言えば良いし、「落款」も「判子」とか「印章」で通じる。ましてや、「判子」は「判子」か「印章」「印鑑」であって、「篆刻」でも「落款」でも無い。

「判子」は「ハンコ」と呼べば良いんだよね。

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